憧れのご飯宴会の掟 豚の生姜焼きは白米の「とも」か
Yくんの家で不定期に開催される宴会がすごいという噂は、かねてから耳に届いていた。噂の詳細は主に3つ。「本当にうまい」「お腹いっぱいになる」「でもちょっとルールが厳しい」。最後がちょっと気になるが、要はルールを守ればいいのだろう。次の宴会にはぜひ参加させてくれとリクエストを出し続け、願いがかなったのは秋のことだった。
Y家の宴会、それは「ご飯宴会」である。主役はご飯。ニッポンの米をとことん食べようという催しだ。元々は佐渡島の米農家を実家に持ち、「米には不自由したことがない」と豪語するYくんが、とにかく家から頻繁に送られてくる米を消費するために始めたもの。なんと初回は学生時代というから、ずいぶん長く続いていることになる。
参加者が持ち寄るのは、自分が飲みたい酒と、みんなにお勧めしたい「ご飯のとも」のふたつ。私も、自分史上最高にご飯が進むと大評判の「めんたいこのムチム」と、お気に入りの塩昆布、そして日本酒を揃え、いそいそと出かけた。
そこでいただいたご飯は、圧巻というしかなかった。
発送する当日にお父さんが精米してくれたという米は、米といえど生鮮食品だということを骨の髄までわからせてくれた。手塩にかけて育てた米に、新米、精米したて、高級炊飯器というチートが加わり、まさに無敵状態。「本当にうまい」という噂は、本当に本当だったのだ。
次の「お腹いっぱいになる」、これも間違いがなかった。何しろご飯をつまみに酒を飲むのだ。それでなくとも腹は膨れる。なのに米がうますぎて、お代わりを断ることができない。
さらに参加者が持ち寄った「ご飯のとも」がどれもこれも魅力的で「すべて味見をしたい」と「でもお腹いっぱい」のアンビバレンス。全種制覇した時は、達成感と膨満感で立ち上がれなかったほどだ。
最近はずいぶん減ったが、昔は「酒を飲むときは食わない」と喧伝する人はけっこういた。「本当の酒飲みってのは塩だけで飲むもんよ」などと無頼を気取っていた上司のことは、今でもよく思い出す。さすがに塩だけというわけではなかったが、メザシ一尾、塩辛ちょっぴりあれば、ご機嫌で飲んでいたものだ。「米はご飯ではなく酒からとってるからいらない」とシメのお茶漬けも食べなかったあの上司を、ご飯宴会に放り込んだらどんな顔をしただろう。ふふふ。
ご飯宴会に話を戻そう。戦々恐々としていた3つめの噂「でもちょっとルールが厳しい」は、宴会が始まってすぐに理解できた。私同様、初めての参加者である人が持ち込んだ「ご飯のとも」について、Yくんが苦言を呈し始めたからだ。
その人が持ち込んだものは、豚の生姜焼き。と聞くと「それの何が悪いのか?」と思わないだろうか。甘辛しょうゆ味のたれが絡んだ豚肉でご飯を食べるなんて最高じゃないか。あれが嫌いな人など、そうはいない。豚肉料理の中の最高峰と言っていいと思う。
しかしYくんの言い分はこうだった。
「それはご飯のともじゃない、ご飯のおかずです」
なるほど。彼はそこにこだわりたかったのか。
非常に興味を惹かれ、その後は「ご飯のとも」と「ご飯のおかず」の違いについて、他の人にもいろいろ話を聞いてみた。
まず主催者であるYくんには、明確な主張があった。「とびきりおいしい米を味わう会だから、それ自体で主役を張れるおかずは不要。あくまで米を引き立て、米なしでは存在できないくらいのものが望ましい。単体でパクパク食べられるものは、ご飯のともではない、ご飯のおかず」というのが彼の主張だ。
確かに私が持ち込んでOKをもらったムチムにしても、塩昆布にしても、それだけをモリモリ食べるものではない。他の人が持ち込んだものも同様だ。イカや魚の内臓の塩辛、なめたけ、おかず味噌や漬物など、酒の肴にする以外はどれもご飯ありき、ご飯と一緒になって初めて生きるものだ。
しかし「ご飯のおかず」は違う。豚の生姜焼き、サンマの塩焼き、煮魚、ハンバーグにトンカツ、唐揚げ……。どれもご飯に合うが、ご飯がなくたってそれだけで食べることができる。なんならご飯の方が脇役といった方がいい場合もある。カレーや麻婆豆腐ならなおさらだ。
さらに彼にとって「ご飯のとも」は「ご飯の友」ではなく、「ご飯の供」。つまり友達ではなく、家来という認識だったことも興味深かった。主役は米、米は殿様。殿様と対等に付き合おうとか、下克上を狙おうとする輩には、ご飯宴会の敷居は決してまたがせない。それがY家の「ちょっとルールが厳しい」の正体だったのだ。
そのルールを他の人はどう思っていたか。これは実に様々であった。「なんでもいいじゃん、おいしければ」という欲張り派、「ご飯にかけることができるのがご飯のお供、かけられずに別皿に盛るのがご飯のおかず」という独自ルール派、「違いとか考えたこともない。そんなことよりお代わりしようぜ」という食いしんぼう。
私はというと「初対面の人とでもこんなに話がはずむなんて、さすがご飯だなあ」と、ぼんやり考えていた。かつて私は他人と話を続けるのが苦手であった。その時に鉄板ネタとして使っていたのが「ご飯に一番あうものって何だと思いますか?」だったからだ。
日本にいて、ご飯を食べたことない人はまずいない。日常的にありふれているからこそ、誰もが一家言持つことができる。年代や出身地によって好むものが違い、また皆それぞれに譲れない熱い思いがある。
自分と同じものが好きと言われたら大いに賛同し、話がはずむ。自分が知らないものを出されたら「それはどういったものですか」と尋ね、これまた話がはずむ。どうしたって話がはずむのだ。本当に、ご飯にはずいぶん助けられてきた。
長崎生まれの私には、思い出深い光景がある。もう何十年も前、祖父母の金婚式を祝うため親戚一同が長崎の家に集まった時のことだ。人数が多いため交代で朝ご飯を食べたのだが、どのおじも、おばも、いとこたちも、みんな他のおかずには目もくれずめんたいこばかり食べているのだ。
東京から来たおじなどは「ご飯にはめんたいこたい。めんたいこさえあればモグモグ…」と自分に言い聞かせるかのようにブツブツつぶやきながらめんたいこを口に運んでいる。ああ、私のめんたいこ好きのルーツはここにあったのだ。この地に生まれたこの血がめんたいこを好むのだ、と合点がいった。DNAレベルで抗えない好物というものが、世の中にはあるのだ。
あれからご飯宴会は、人を変え、場所を変え、静かに続いている。Yくんに対抗すべく「うちの県の米も食べてくれ」「うちのじいちゃんの米だってなかなかだ」という人が続々と現れたこと「Y家のルールには合わなかったけど、ぜひ紹介したいお供がある」という人も続々と現れたからだ。
そして先日のご飯宴会では、かつて生姜焼きを持ってきた人が「生姜焼き味の肉そぼろ」を作って参戦し、Yくんに「これならどうだ」と突きつけた。
「これは…ご飯のお供ですね」
Yくんが一杯余分にお代わりしたのは言うまでもない。
(食ライター じろまるいずみ)
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