運動会と言えば唐揚げ、チューリップ? 秋の行楽弁当
秋の運動会の食べ物(1)
今回からテーマは「秋の運動会(行楽)の食べ物」である。
私などは運動会というと母が作ってくれた太巻きといなり寿司を思い出す。めったに食べられなかったゆで卵もそのときばかりは登場した。これが私の2大運動会フーズである。いまになっても時折、無性に太巻きといなり寿司を食べたくなる衝動に駆られるのは、小学生のころの懐かしい記憶のせいであろうと思われる。
最近は運動会を秋ではなく梅雨入り前に開く学校も多いようだが、運動会は秋空の下がふさわしいと思う。
このように全国各地の運動会もまた多彩であろうし、そこで口にされる食べ物も地域や時代を映しているのではいかと思う。運動会だけではなく秋の行楽に欠かせないものがあれば、ぜひ教えていただきたい。
母親は普段はお目にかかれない材料でここぞとばかり腕自慢、冷凍食品でごまかすこともできない時代でした。
ちなみに我が家のお弁当は、いなり寿司に太巻き、それに1人1個限定のゆで卵とバナナでした(ヤッサン1949@四街道さん)
これこそ私と同時代の運動会の記憶である。ただしバナナが加わっているので私の負け。
甘い卵焼き、かんぴょう、しいたけ、紅しょうが、ピンクのでんぶなどが入った太巻きと、あまから~いおいなりさんが疲れた身体に染みました。水筒にはこっそりあま~い紅茶を入れて一人で飲んでいました。甘い紅茶と甘辛い寿司の組み合わせ、子供ならではの甘甘セットです(東京のあさちゃん)
鶏の唐揚げ? そんなぜいたくなものを持ってきている友達がいた? 嫌われてませんでした?
所帯を持って、子供らが小学生のころはかみさんが作るおにぎり(なぜか「お茶漬海苔」を混ぜ込んである。私の好みだから)、ウインナ―ソーセージ(タコには切ってない)、青みに春菊かホウレンソウを刻み入れた卵焼き、梨(幸水か二十世紀、リンゴでないのがミソ)。あと変わった物と言えば、栗の渋皮煮を大量に作って近所の席に配ったくらいでしょうか。
友人のS氏は運動会で飲みたい一心で、幼稚園に通う下の娘さんの水筒(ピンク色の!)に日本酒を入れて、奥様に隠れてチビチビやっていました。彼が席を立った隙にのどが渇いた奥様が水筒から水を飲もうとしたところ、(!)。後の惨事はご想像にお任せします(亡命名古屋人さん)
惨事のパパ。
そして何よりも私のお気に入りは緑色をした早生のみかんで、秋の運動会とは切っても切り離せない思い出です。
当日は白足袋(運動会専用)に組み分けされた色の帽子をかぶって、ただただ走り回っておりました。昭和30年代の後半ですが、家族にとっても大事なイベントでした(大阪在住長崎生まれ 夏が終わってほっとしているオジサン)
ここで説明が必要であろう。運動会の足袋である。
昔は運動靴やスニーカーなどがなかったので、正確に書くとあっても買えなかったので、走るときは白足袋を履いたのである。裸足で走るというのがむしろ普通で、足袋を履くのはリレーの選手だけというようなこともあった。
私は普通の競技では裸足だったがリレーが近づくと両親が陣取るテントに行って、かねて用意の新品白足袋を履く。すると選ばれし者感がぐっと高まってアドレナリンがぎゅいんぎぃんと放出される。父が「がんばれ」と言い、母が「応援しよるけんね」と笑う。
足袋で走るとグランドの小石が痛くない。滑らない。あんないいものはないと思っていたが、いま考えると単に貧しかったのね、日本が。
おにぎりは定番だと思いますが、具には焼き鮭、梅干、すじこ、たらこなどがありました。鮭は「ぼた(ぼだっこ)」と呼びました。牡丹色だからだと思います。すじこは我が家ではいったん海苔で巻いて、それをごはんで包んで、さらに海苔を巻くというスタイルでした。これはすじこの汁がご飯に染みないためだったんでしょう。
あと「お茶飯(おぢゃまま)」という具入りしょうゆご飯があって、これをおにぎりにすることもありました。「お茶飯」はなにかにつけて秋田ではよく食します。
骨付き鶏肉の唐揚げを「チューリップ」と称していて、とても好きでした。精肉店でもこの名前で売ってました。
あまり関係ないですが、運動会の賞品「白菜2玉(ひもで結んである)」というのがあって、今でも印象に残っています。どこの家でも漬物を漬けていた時代を思い起こさせます(あたるさん)
鶏の唐揚げの一種、チューリップ。うらやましい。白菜2玉はうらやましくない。
またチューリップだ。子どものころ、そんなもの見たことないぞー。
唐揚げではないが鶏は鶏である。ちぇ、うらやましい。
特に家で漬けた梅干を真ん中に、信州の田舎で漬けたカリカリ梅を刻んだ梅のおにぎりはサイコー!でした。それに塩味卵焼き。つくね。里芋煮もの。そして青いみかん。
これがすっぱくて、でもぜいたくで。季節前に食べちゃいけないからと、おそるおそる皮をむいて大事に食べました。2個ついていたときに、家に1個持ってかえって母にあげたことを覚えています。酸で疲れも取れたんでしょうね。私は運痴(カナでは書けません)でしたから(ゆうかりん@市川さん)
あれえ、亡命名古屋人さん、夏が終わってほっとしているオジサンのメールに続いてまた青いみかんが登場した。そんなにポピュラーだったのだろうか。
(特任編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
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