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「魂」以上の演奏家だった若林暢 日本の実力派を聴く クラシックCD・今月の3点

2017/10/1

(C)若林暢 音楽財団
「魂のヴァイオリニスト 若林暢」
ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ全集」
キャスロン・スタロック(ピアノ)
「ヴィオリン愛奏曲集」
アルバート・ロト(ピアノ)、江口玲(同)

 若林暢(1957~2016年)は自身、両親が相次いでガンに冒され、闘病と介護の日々にありながらも音楽への情熱、演奏活動への執念を最後の一瞬まで、失わなかった。生前の演奏を収めた2点のアルバム、米ニューヨーク・ジュリアード音楽院の博士論文として執筆した「悪魔のすむ音楽」の日本語版(久野理恵子訳、音楽之友社)が相次ぎ発売されるとメディアが一斉に注目し、「魂のヴァイオリニスト」はすっかり、「時の人」の様相を帯びてきた。

 だが、そこに本人はいない。CDレビューを担当した音楽評論家の多くが「初めて聞く名前だ」「知らなかった」と書いたのも、驚きだった。2度の離婚を経験し、最初の夫の名字をアーティストネームに使い続けたことも、知名度の上がらない一因だったのかもしれない。本名は富永暢。東京芸術大学音楽学部付属高校(芸高)時代から力量を注目され、同大学・大学院を経て米国へ渡った。

 彼女の素晴らしさを最初に教えてくれたのは芸高・芸大同期のチェロ奏者で、現在は音楽プロデューサーの宮沢政司さん。1977年の東京芸大音楽学部90周年(前身の東京音楽学校時代と合算)記念演奏会で若林、ピアノの迫昭嘉(現・音楽学部長)とともにメンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲」を弾いた仲間である。宮沢さんは以前の勤務先、東急文化村オーチャードホール(東京・渋谷)で企画した室内楽連続演奏会の「前座」に若林を起用し、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」から数曲を弾かせた。素晴らしくスケールの大きな演奏だった。豪快といってもいい瞬間に圧倒される半面、知性の裏打ちが行き届いているので、音楽の形、時代様式はぎりぎりのところで保たれている。

 さっそく、シューベルト生誕200年を記念した旧日経ホールの演奏会(1997年5月26日)への出演だけでなく、人選もお願いした。前半はバリトンとピアノによる歌曲(リート)、後半は若林が第1ヴァイオリンを弾いての八重奏曲。チェロの藤森亮一、コントラバスの吉田秀、クラリネットの山本正治ら、それぞれの楽器で日本を代表する名手が若林を慕って集まり、作曲家自身が仲間と繰り広げた音楽の宴(うたげ)、シューベルティアーデもかくやと思わせる楽しい演奏に仕上がった。お酒に強かった若林は打ち上げでもリーダー格。明るくおおらかな人柄で、全員を温かく包み込んでいた。

 2点のCDのうち、さばさば快活な雰囲気はクライスラーの「美しいロスマリン」、バルトークの「ルーマニア民俗舞曲」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」など、日本各地のホールで弾いた小品を収めた「ヴァイオリン愛奏曲集」の方に、強く表れている。数々の国際コンクールで上位に入賞し、ヴィルトゥオーゾ(名手)の名に値する技のさえをみせる。一方、海外でのセッション録音を原盤とするブラームスのソナタ全曲では、ジュリアードで博士号を取得した知性の部分がより前面に出て、「悪魔のすむ音楽」の随所で実感する卓越した分析力、情に溺れない構造的なアプローチで聴かせる。

 CD制作に尽力した音楽プロデューサー、武藤敏樹さんは「あと数年早く彼女に出会っていれば……」と記し、「演奏家としての不運」を嘆くが、新たな生命を得た名演は今後、末長く聴き継がれていくことだろう。(ソニー・ミュージックダイレクト)

J・S・バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1集」
三膳知枝(ピアノ)

 24曲の「前奏曲とフーガ」からなる大バッハの傑作。ピアニストの名前に聞き覚えはなかったが、楽曲への敬意と、現代のピアノによる演奏解釈の処理法への興味から、何気なく開封した。「第1番ハ長調」の前奏曲を聴き始めたとたん、とてつもない名演奏に出くわした幸福感が脳内から居室全体へと広がっていった。すべての音に血が通い、ピアノを最もピアノらしく生き生きと鳴らし、深い人間性すら漂わせる。時代の最先端というよりはスヴャトスラフ・リヒテル、タチアーナ・ニコラーエワら「ソ連」時代に活躍した名手たちが奏でた「平均律」を思い出させる何かがある。

 最初のピアノの師に当たる村手静子が書いた解説によると、三膳は新潟市に生まれ、モスクワで名ピアニストのアンドレイ・ガヴリロフの母親アッサネータ・ガヴリローヴァに短期の指導を受けた。三膳の才能にほれ込んだロシア人教師は強く留学を勧め、グネーシン音楽大学のヴラディーミル・トロップ教授のクラスに入った。留学は4年に及んだが、「彼女には重荷だったに違いない。(中略)帰国したが、体調をくずしピアノとは離れてしまった」(村手)。

 3年後、結婚して横浜へ移り、村手の下で再起を期したという。さらに十数年が過ぎ、三膳はモスクワでガヴリローヴァのレッスンを受け、「CDに録音するように」と言われた「平均律」の前へと戻ってきた。1人の女性が少女時代から留学、挫折、結婚、再起に至るまでの日々、折に触れて楽譜を読み、鍵盤に触れ、究めてきた音楽だからこそ、格別の説得力を備えていたのである。もはや、迷いはない。続く「第2巻」の発売が待ち遠しい。(コジマ録音)

「エリック・サティ 新・ピアノ作品集」
高橋悠治(ピアノ)

 フランスの作曲家エリック・サティ(1866~1925年)の再発見というかブームが、1970年代の日本で突然起こった。作曲家でピアニストの高橋悠治は妹のピアニスト、高橋アキとともにサティ発見の担い手の一人だった。76~90年に日本コロムビアで録音した悠治の演奏は作曲家の生誕150年の昨年、廉価盤の3枚組ボックスで再発売された。その打ち合わせに同社の担当者が高橋を訪ねた折に新録音の話が持ち上がり、今年6月20~21日に東京の品川区立五反田文化センターでのセッション録音が実現した。

 解説書冒頭で、高橋自身が新旧の録音の違いを描写する。旧盤は「演奏でなにかを加えるのではなく、ありがちの表現や叙情のない『白い音楽』にしたいと思っていた」。新盤では「貧しいものの音楽、小さなもののつつましさ、ひそやかさ、その息づかいや、鍵盤に触れるその時に生まれる発見から次の一歩が決まるような、どことなく危うい曲がり道をたどる、音から次の音へのためらいがちな足どりの、未完の作曲家サティにふさわしい進行中の記録にとどめておきたい気もあった」。長い文章だが、解釈の特色そのものだ。

 ゆっくりしていながら、ある種の歌ごころをたたえた作品ばかりを連ね、右手と左手、あるいはペダルの位相のズレをうまく生かしながら、「後ろ髪をひかれる」ような音楽を奏で続ける。高橋自身を含め、今まで誰も試みなかったアプローチに驚きつつ、最後は大きな感銘を受けるという不思議なアルバムだ。(日本コロムビア)

(コンテンツ編集部 池田卓夫)

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全集

演奏者 : 若林 暢
販売元 : ソニー・ミュージックダイレクト
価  格 : 2,700円 (税込み)


ヴァイオリン愛奏曲集

演奏者 : 若林 暢
販売元 : ソニー・ミュージックダイレクト
価  格 : 2,700円 (税込み)


悪魔のすむ音楽

著者 : 若林 暢
出版 : 音楽之友社
価格 : 1,944円 (税込み)


J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1集

演奏者 : 三膳知枝
販売元 : ALM RECORDS
価  格 : 3,672円 (税込み)


エリック・サティ:新・ピアノ作品集

演奏者 : 高橋悠治
販売元 : 日本コロムビア
価  格 : 3,240円 (税込み)


エリック・サティ生誕150周年企画 サティ ピアノ作品集

演奏者 : 高橋悠治
販売元 : 日本コロムビア
価  格 : 2,700円 (税込み)


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