歌手クリス・ハートさん 炎上車救助、父の責任感
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は歌手のクリス・ハートさんだ。
――音楽一家で育ったそうですね。
「大学時代から父はジャズ、母はゴスペルのバンドで活動していて、2人は音楽を通じて出会いました。自分にとってジャンルの異なる音楽に囲まれて生活するのはごく自然なことで、幼少時はクラシックのフルート、中学生になってからはジャズを演奏していました。母方の祖母がかつて美術の先生だったこともあり、音楽以外の芸術にも幅広く親しんでいました」
――日本の音楽とはいつ出合ったのですか。
「中学生のころ、米国に住む日本人向けのラジオ番組で音楽グループ、Kiroroの『未来へ』が流れているのを耳にしました。ポップスでありながらクラシックの要素も混ざっている、スタイルにとらわれない自由さが新鮮でした。何よりも日本語の美しい響きにひかれました。しばらくして茨城県の家庭にホームステイする機会に恵まれ、日本に住みたいという気持ちは膨らむ一方でした」
――日本に移住し、音楽で食べていこうとして反対されなかったのですか。
「実は母と日本について話した記憶はあまりないんです。私に干渉することはなく、何をしているのかよく分からないけれども、息子がそんなに夢中になることなら応援してやろうという気持ちだったのでしょう」
「焦りがあったのはむしろ私の方かもしれません。日本語を使う仕事を転々とし、ホームステイから日本に住むまで10年以上かかったわけですから。自宅はシリコンバレーに近く、起業して金銭的に成功する友人もたくさんいて、プレッシャーはありました」
――長い目で夢の実現に取り組めたのはお父さんの影響があるそうですね。
「父は若いころ漫画家になる夢を持っていましたが、家族を養うために警察官になりました。本人にとって決して理想の仕事ではなかったはずですが、責任感が人一番強い人でした」
「そんな父の生きざまを物語るエピソードがあります。ある日、父と帰宅途中、高速道路の脇で激しく燃えている自動車を発見しました。父は非番でしたが革のジャンパーを頭からかぶって守り、搭乗者を助け出そうと炎の中に飛び込んでいったのです。仕事の好き嫌いにかかわらず責任を全うしようとする父の後ろ姿を見て、自分が選んだことは最後までやり遂げる大切さを学びました」
――両親は昨年、初めて来日しました。
「第1子が生まれて2カ月というタイミングで、初めて孫に対面できてとても喜んでいました。両親はいつも私の意思を尊重してくれたものの、いろいろと心配をかけました。歌手としての活動が軌道に乗ってきたことを見せられてホッとしています」
[日本経済新聞夕刊2017年9月26日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。