五感で味わう京都・對龍山荘 名匠・植治の庭を歩く
作家・山下柚実
木をふんだんに使った新国立競技場の設計など斬新な発想で世界の建築シーンをリードする隈研吾氏は、いま「庭の時代」が到来している、という。「20世紀から21世紀へという転換の本質は、建築が終わって、庭がはじまったことである」(『熱帯建築家』)。
はたして「庭の時代」とは何を意味するのだろうか? 例えば明治に活躍した作庭の名匠・植治が手がけた京都の對龍山荘(たいりゅうさんそう)の庭を歩いた時、私たちはどんなヒントを見つけることができるだろうか? 「庭」は現代人に何を語りかけているのだろう?
◇ ◇ ◇
玄関から広間へと入った瞬間、視線が釘付(くぎづ)けになった。目の前に開けていく圧倒的な景色に視線が吸い寄せられる。
瞳が歓喜する。はるか遠くには、山々の稜線(りょうせん)。ゆるやかに続く峰と峰。その手前には、杉や松などの木々が背丈を競う。眼下には大きな池と滝、泳ぐ鯉(こい)、ほとばしる水の響き。遠、中、近景。すべてがつながりあい溶け合って飛び込んでくる。あまりに壮大な景色。これは現実なのか幻なのかと何度も目をしばたたかせた。
南禅寺界隈(かいわい)別荘群の一つ「對龍山荘庭園」の中心、書院・對龍台に私は座っている。
京都という大観光地のガイドマップにも載っていない。「京都の秘境」ともいわれる南禅寺別荘群。東山の麓にあり琵琶湖疏水(そすい)が庭の中へと引き込まれ、数寄屋建築と庭と東山の景色が一体化した特異な空間だ。
南禅寺界隈の地はそもそも琵琶湖疏水による水車動力の利用計画があり当初「工場用地」として開発される予定だった。しかし計画が実現に至らず、高級別荘地として分譲されることに。疏水から水を引き入れ庭園を作る別荘が財界人の憧れとなり、贅(ぜい)を尽くし趣向を凝らした名庭園と建物が次々に生まれた。今もなお明治期から昭和期、政財界人がこぞって建てた別荘15軒が残る。
中でも對龍山荘は、屋号「植治」こと七代目小川治兵衛の「傑作」として誉れ高い。昭和63年(1988年)に国の名勝に指定され、建物も庭も往時の姿をよく留めている。ルーツをたどると、薩摩藩出身の実業家・伊集院兼常が別荘として建てた後に呉服商・初代市田彌一郎(市田株式会社設立者)が譲り受けて増改修、植治が作庭を手がけて112年前に完成した。
對龍山荘の敷地は南北に長い。庭は池泉回遊式で疎水から何筋も水が流れ込んでいる。南側は、なだらかに傾斜する地を小川がチョロチョロと流れる、のどかな風景。その浅い流れはやがて蛇行し、茶室や露地を迂回して北側の庭へ到達し、豊富な水をたたえる大きな池へと注ぎ込んでいく。
優しい面持ちと、ダイナミックさと。南側と北側の表情の違いに驚かされ、そのメリハリに心が弾む。北側の庭を見渡す位置に、書院・對龍台がある。
贅を尽くした数寄屋造りの書院・對龍台。腕利きの大工・島田藤吉が高級材の栂(つが)を惜しみなく使った端正な栂普請だ。時の経過の中でも柱や梁(はり)、垂木は朽ちることもなく、堂々とした印象。その木肌はつやつやと輝き呼吸している。
一方、南側にある聚遠亭(じゅおんてい)は、對龍台の造りとはまったく違っている。床は地面から27センチしかない。座敷に座ると風景に包み込まれる感覚になる。まるでせせらぎが畳の上に流れ込んでくるよう。「庭屋一如」とはこのことだろう。
北側の凛(りん)とした佇(たたず)まいの書院・對龍台に対して、南側の聚遠亭や茶室は丸太や土壁などが田舎屋風の柔らかい風情を醸し出している。丸窓や竹の縁側も、緊張感漂う書院とは対照的な柔らかさを見せていて、魅力的だ。
〈聴〉音はごちそうである
對龍台に座ると、水の音が耳をくすぐる。遠くの大滝から届く水音かと思いきや、実は建物のすぐ真下。見えないところに小滝がしつらえてある。座敷に音を響かせる仕掛けだ。つまり音のトリック。「音はごちそうである」という思想を形にしたユニークな構造だ。
「夏は水量を増やし涼しげな響きに。冬は水量を押さえて少しでも暖かく。季節によって流れ込む疎水の量をコントロールしています。せせらぎの中の石の位置も、動かすことで水の筋が変わるんです。石にあたる水の響きに、変化をつけることができます」と植彌加藤造園・加藤武史さんは言う。見えない心遣いが嬉しい。
〈視〉見ることの喜び
對龍台からの光景に、目が喜ぶ。開口部に柱は一本もなく、視線は大きく前方に開け、はるか東山の緑が、自然に庭へ連なり溶け合っている。
景色を見る楽しさだけではない。建物の中では、光の美しさに目を奪われる。座敷の陰影。障子や簾(すだれ)を通して届けられる光。この建物は光の美しさに気づかせ、陰影を味わうための装置でもある。
茶室のにじり口や二階の丸窓はまるで「額縁」そのものだ。切り取られた庭の風景はより一層、鮮やかに際立つ。
〈触〉さまざまな質感に皮膚が喜ぶ
床柱はよろけた線が何筋も走り、つるりと滑らかな肌が指先をくすぐる。自然が作り出した凹凸。天然絞りの北山杉だ。
縁側に出ると、足の裏を刺激するのは竹。手すりの金具、ふすまの引き手もオリジナルデザイン。網代の天井、藁(わら)や萩(はぎ)の素材を活(い)かした建具。朽ちた石の灯籠……どこもかしこも、肌合いが違う。つるつる、ざらり、凸凹。その多彩さに、触覚が喜ぶ。
〈嗅〉記憶をくすぐる匂い
むぅっとした草いきれ。日本庭園には珍しく、對龍山荘には人々が集う園遊会むけに作られた芝生の広場もある。太陽に灼(や)ける野芝の匂いが、懐かしい夏の思い出を蘇(よみがえ)らせてくれる。初春なら古梅が紅い花をつけ對龍台に芳香を届けてくれる。梅雨はクチナシの甘い香りが漂う。香りは四季とともに移ろっていく。
遠中近が溶けあう風景。錯覚を使った水音。時間によって交差する光と影。「感じ取る人」がいなければ、この庭園山荘に仕込まれた美しさは、いつまでたっても完結しない。對龍山荘はまさしく「五感で味わう」空間なのだ。
冒頭、「建築から庭の時代へ転換した」という言葉を紹介した。隈研吾氏はこうも言っている。「庭とは絶えず、自然以上のものである。モノの消費に飽きた人間のための、社交空間を庭と呼んだのである」(『天上の庭』)。
對龍山荘は人を呼び込む。人と人を出会わせる社交空間だ。
つながるのは人だけではない。東山連峰の景色とつながる。琵琶湖の水とつながる。石もそうだ。滋賀県でとれた守山石は疎水を船で運ばれ、この庭に置かれた。生き物もつながっている。池の魚たちは琵琶湖の生態系そのままだという。
ここに座ると、作庭師・植治とつながることもできる。伝統的な大工の技、茶の湯の思想、明治近代の記憶とも、つながる。南禅寺、金地院などの周りの環境とも、つながる。
現代のネットワーク社会において様々なものとつながる結節点を「ハブ」と呼ぶが、112年前に生まれた對龍山荘は、その先取りをしていた。さまざまなものをつなぎ合わせる極上の社交空間だったのだ。
京都市が管理・公開する別荘「無鄰菴(むりんあん)」は、山縣(やまがた)有朋が植治に作庭させた庭と数寄屋建築、洋館を見ることができる。平安神宮神苑(じんえん)も植治の作庭。三条、五条の橋杭を池の飛び石に使ったことでも知られ、谷崎潤一郎の『細雪』の舞台にもなった。
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