秋の夜長。筧家のダイニングテーブルでは、ファイナンシャルプランナーの幸子がキャッシュフロー表づくりを進めています。その横では良男が新聞を読みながら、お茶を飲んでいます。そこへ仕事が終わって友人と食事をしてきた恵が帰ってきました。

恵 ママはお仕事? 今回はシニア世代からの依頼よね? いつもより大変みたい。
幸子 老後資金の場合は退職金や公的年金の額がある程度わかっているので、しっかりした計画にしないとね。
恵 ちなみにパパの退職金って、どれくらいなの?
良男 やぶから棒に何だ。でも世間相場は知りたいな。
幸子 厚生労働省の2013年の調査だと、勤続35年以上の大学卒の平均退職給付額は2156万円。08年の同じ調査では2491万円だったから、300万円以上減っているわ。多くの企業が年功序列的な賃金制度を見直し、成果主義を導入したことで退職金も役職や業績に応じて算定されるようになったの。業界再編などもあり、ポストが減って管理職になれないまま退職する人も珍しくなく、退職金が低く抑えられるようになったという指摘があるわ。
良男 退職金を一時金で受け取るのと、10年とか15年に分けて年金方式で受け取るのと、どちらが得なんだ?
恵 退職金って、いっぺんにもらうんじゃないの?
良男 会社によっては全額を年金方式としたり、半分を一時金、残り半分を年金方式と併用できたりする場合もあるんだ。退職金を年金方式にすると、会社が一定の利率で運用してくれるから総額は増えるという話を先日の同窓会で聞いたな。
幸子 どっちがいいかは難しい質問ね。ファイナンシャルプランナーの深田晶恵さんの試算を紹介するわ。試算の前提は、定年が60歳で退職金は2000万円。受け取り方法は(1)全額を一時金 (2)全額を期間10年の年金方式――の2つのケースで、年金方式の運用利率は年2%。これに加え、64歳まで再雇用制度で働いて年収350万円、65歳から公的年金を年220万円受け取るとすると、69歳までの額面ベースでの合計額は(1)4850万円 (2)5060万円よ。
恵 年金方式のほうが多いのね。
幸子 でも手取りベースだと、一時金の4395万円に対し、年金方式は4265万円と逆転するの。
良男 なぜだろう?
幸子 退職金を一時金で受け取ると所得税の扱いは「退職所得」になるの。退職所得控除という非課税枠があり、例えば大卒で38年勤続だと2060万円まで非課税よ。それを超えても課税されるのは超えた金額の半分なの。一方、年金方式で受け取ると公的年金などと同様に「雑所得」になるわ。こちらも非課税枠はあるけど、枠を超えた分は丸々課税されるの。
良男 収入が多いと社会保険料の負担も増えるよね。
幸子 深田さんの前提条件の再雇用制度と公的年金の収入を加味すると、年金方式だと10年にわたり年221万円受け取ることになるから、例えば65~69歳だと年収は計441万円。税金と社会保険料の負担は合計で年70万円なのに対し、一時金の場合は年23万円ですむの。
恵 退職金を1000万円ずつ、一時金と年金方式で半々にすると、どうなるの?
幸子 69歳までの手取り総額は4330万円で、やはり一時金の場合に及ばないの。ただ深田さんは「運用利率がより高く受取期間を15年と長くできるなら、年金方式が有利になることもある」と話していたわ。
良男 定年後にどんな働き方をするかによっても受け取り方は変わってくるよね。
幸子 そうね。定年後の生活費を公的年金だけで賄うのは難しいというのが多くの人の見立てよ。フィデリティ退職・投資教育研究所が定年退職者約8000人を対象にした調査では、退職金の使途で過半数を占めたのは「定年後の生活費」。次いで「ローン・負債の返済」の約2割だったわ。
恵 退職金を住宅ローンの完済に充てる話もよく聞くわ。
幸子 できればそれは避けたほうが賢明ね。最近は晩婚・晩産が進んで定年前後まで子供の教育費がかかり、住宅ローンの返済が終わらない家庭も目立つわ。でも退職金を充ててしまうと、老後資金が大きく減ってしまうの。老後の家計に負担をかけないためには、60歳時点のローン残高を500万~600万円にまで減らしておくべきだとの指摘もあるわ。
良男 働けるうちはできるだけ働いたほうがいいな。
幸子 独立行政法人労働政策研究・研修機構の14年時点の調査では、定年後も働き続けた人は57%。仕事を探した人と合わせ7割以上が働くことに意欲があったわ。法律は企業に対し、希望者に原則65歳までの雇用確保を義務付け、定年廃止、定年延長、再雇用のいずれかを選択するよう求めているけど、現時点では再雇用を選ぶ企業が大半。再雇用だと退職前に比べ給与水準は下がるのが一般的だけど、厚生年金に加入すればその分、退職後にもらえる年金額は増えるの。勤務先の健康保険に加入することにもなり、健康保険料と介護保険料は会社が原則、半分を負担してくれるわ。
恵 退職金の受け取り方で悩んでもいいけど、パパはまずは働いて健康でいてね。
ファイナンシャルプランナー 深田晶恵さん
退職金を一時金と年金方式のどちらで受け取ると得なのかは、運用利率、年金額、住んでいる自治体の国民健康保険・介護保険料などによってケース・バイ・ケースです。傾向としては1年あたりの年金額が多くなるほど、税金と社会保険料の負担が重くなり、多くのケースで一時金が有利になります。
一時金受け取りの注意点は、まとまった金額のため無駄づかいしがちになること。「何か増えるものに預けないともったいない」と「資産運用病」にかかる人もいます。定年後に資産運用を始めるなら入門書を1、2冊読み、少額の資金で練習する期間を設けましょう。年金方式は安定収入になるメリットがあります。しかし、70歳か75歳で受取期間は終了し、その分の収入は減るので、支出も見直すことが不可欠です。
(聞き手は川鍋直彦)
[日本経済新聞夕刊2017年9月20日付]