ジャパネットHD社長・高田旭人さん 父は長嶋タイプ
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はジャパネットホールディングス社長の高田旭人さんだ。
――お父さんはテレビの通販番組で甲高い声と独特のセールストークが魅力的でした。どういう人ですか。
「父が長崎県佐世保市にカメラの販売会社を設けたとき、私は7歳。父は仕事一筋で、母からも仕事が第一と言われて育ちました。仕事があるから家がある。家があるから家族が生活できると。でも父はお金に執着がなく、カメラを買って喜ぶお客の顔を見るのを生きがいにしていました。人間が好きなんですね。そんな父を誇りに思っていました。寂しくなかったですよ」
――商売が身近なものだったんですね。
「通販事業を始めてから、受注の電話を夜、自宅に転送していた時期がありました。注文が入ったときはテレビの音量を下げなければいけません。テレビを見たいけど、電話が鳴るのは家にとっていいことです。うれしいような、うれしくないような気持ちでした。ただ今の電話でカメラがまた1つ売れたのか、すごいなと思っていました」
――中学校から親元を離れ福岡県久留米市の中高一貫校に進みます。
「長崎、佐賀、福岡の進学校3校のうち、福岡にトライして合格。寮生活は勉強ばかりでつらかったですね。でも多感な時に親と離れたので、親に対して反抗期はなかったですよ。週末、佐世保に帰ると父は甘やかせてくれるし、母は夕食に私の好物しか出さないので、反抗する理由はなにもありませんでした」
「むしろ距離を置いていたので、客観的に父や家業を見ることができました。その結果、長男だったこともあり父の会社を継ぐのが自分の役目だと思うようになりました」
――2004年、「高田明の息子」としてジャパネットたかたに入社します。
「入社後、責任ある仕事を任せられると、結果を出して社内で早く認められたい気持ちから父と何度も衝突しました。初めてといっていい親子げんかです。でも相手は百戦錬磨。いつもやりこめられて怒られました。落ち込みましたね。そんな夜、父は電話してきて『今日は厳しいことを言ったけど、くよくよするな』とフォローしてくれました。気配りの人なんですよ」
――社長に就任して2年半が過ぎました。
「父は長嶋茂雄タイプです。天才的なひらめきで取り扱う家電製品を広げ、会社を発展させました。私にはまねできませんし、私はテレビに出演する気もありません。理系出身の私はデータに基づく仮説と検証で会社を成長させます。野村克也タイプです」
「父は会社からきっぱり身を引きました。でも東京に住む私が佐世保で父に会うと、何か言いたそうな顔をしていますね。だから今は父と仕事の話はしません。社員の生活を背負い会社を存続させるのが親孝行だと思っています」
[日本経済新聞夕刊2017年9月19日付]
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