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立川談笑、らくご「虎の穴」

2017/9/17

立川談笑、らくご「虎の穴」

最後にもうひとつ。これは完全に失敗したパターン。別の日に、やっぱり同じ東京駅の新幹線ホームでのこと。60歳代くらいのおばちゃんが一人でJRの職員さん数名を相手に、何やらエネルギッシュに訴えていました。見た目はメキシコだとかベネズエラだとか、そんな中南米から来た観光客。興奮したおばちゃんがまさに口角泡をとばすばかりの勢いでしゃべっているのは、スペイン語です。この日本では英語をしゃべる人はいても、スペイン語はなかなか通じません。職員さんたちも激高するおばちゃんを前に、一様に困り顔でした。

ところが、私は少々スペイン語をかじったことがあるのです。学生時代、語学として履修しました。それも、厳しい先生だったなど事情があって、当時は英語よりもスペイン語の方が得意という特殊な学生でした。そんなスペイン語とも疎遠になって30年。すっかりさび付いてはいますが、いくらかは分かります。

「スペイン語もごぶさただから、もう今は助けてあげられないよ」

と、マシンガンのようにまくしたてるスペイン語のリズムだけを聞くともなく聞いていました。

その時、「オイ(今日)」「マニャーナ(明日)」という、ごく基礎的な単語につられて思わずそっちを見た瞬間、おばちゃんとまともに目が合いました。

「いかん!」

慌てて目をそらしましたが、おばちゃんは「日本でやっと、私の言葉を理解する人を見つけた」とばかりにかけ寄ってきて、今度は私に向かって猛然と何ごとかを力説し始めたのです。ターゲット変更。いよいよラテンの血がたぎるのか、興奮したおばちゃんは目に涙をためて私に力いっぱい訴えかけます。ところが、私ときたらほとんど意味が分からない。それでもおばちゃんのスペイン語はなおもヒートアップする一方です。「なに? なに? このおばちゃんの確信ぶりはいったい何だ?」と思ったら、原因は私でした。

「スィ。スィ。ベルダ?(Si . Si . Verdad ?=はい。はい。本当?)」

なんて、おばちゃんにスペイン語で相づちをうっていたのです。

要するにおばちゃんの主張としては、「今日乗るはずだった新幹線の切符を紛失してしまった。駅の窓口で紛失届を出したのだけど、やっぱりどうしてもその新幹線に乗りたかったのだ」と。まあ、これは職員さんが私に教えてくれたのだけど。で、さらに職員さんによると「このお客さんは、もうどうにもならないことは自分でも承知しているんだけど、感情的に収まりがつかなくて、私たちに訴えているだけなんだ」と。

「ですから、お引き取りいただいて大丈夫ですよ」

職員さんにうながされて、私が少しずつ立ち去ろうとすると、おばちゃんは逃がすものかと追いすがって、ますますスペイン語をまくしたてます。そんなおばちゃんを職員さんたちは3人がかりで両側からガッチリと押しとどめると、すばやく私に言いました。

「いいから、早く逃げて!」

おばちゃんは涙を流しながら、もはやこの世の終わりのような表情です。この場に何かふさわしい言葉を探し続けていた私の脳裏に、ひとつのフレーズが浮かびました。

「ディスクルパメ!」

ふう。まもなく出発した新幹線のシートで、さきほどの嵐のようなひとときを思い返しました。さっき、とっさにおばちゃんに言ったスペイン語、どんな意味だっけ。確か…。

「ごめんなさい」

ううむ。間違っちゃいないが、困ったもんだ。

◇   ◇   ◇

次回は、「危なかったけど、助かった」。ヒヤリハット話を聞かせておくれ。笑二から、行ってみよう!

(次回9月24日は立川笑二さんの予定です)

立川談笑
 
1965年、東京都江東区で生まれる。海城高校から早稲田大学法学部へ。高校時代は柔道で体を鍛え、大学時代は六法全書で知識を蓄える。93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。96年に二ツ目昇進、2003年に談笑に改名。05年に真打昇進。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評がある。十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。
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