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日本初の女性FP 自立促した生涯現役の母の生き様

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日経DUAL

日本人女性で初めてのファイナンシャルプランナーとして、執筆活動や家計相談など幅広く活躍する中村芳子さん。「経済的な自立」を求めて、大学卒業後にファイナンシャルプランナーとなり、29歳で仕事を辞めてオーストラリアへ。その後、30歳で起業と自分が信じる道を突き進んできた中村さんですが、その決断力と行動力は、子ども時代に共働きの両親に「放っておかれたこと」から生まれている、と振り返ります。

亭主関白な家庭で育った経験から、長らく女性が結婚することのメリットを見い出せず、「小学生時代から29歳まで結婚願望がゼロだった」と言う中村さん。オーストラリアでの出会いを機に夫婦・家族の在り方の固定的な価値観から解放され、その後結婚、現在は実子と養子、二人の娘と夫と自分流の生活を送っています。働く親として生涯現役を貫いた母親との思い出、経済的自立を目指したキャリアの模索期、さらに、共働き家庭で育ったことで身に付いた、自ら考え行動する習慣について聞きました。

幼いころから自立が目標だった

――中村さんは、日本の女性ファイナンシャルプランナー(FP)第一号として知る人ぞ知る存在です。長崎出身でいらっしゃいますが、幼いころはどんなご家庭で育ったのですか。

中村芳子さん(以下、敬称略) 最初からFPを目指したわけじゃないんです。そんな仕事はありませんでしたから(笑)。ただ、子どものころからずっと経済的に自立していたいという気持ちは強く持っていました。

父は普通のサラリーマンで、高度経済成長期だったこともあり、仕事でほとんど家にいない人。母は結婚前にはバスガイドとして働いていて、私や妹・弟が生まれてからは洋裁学校の経験を生かして、近所の人たちから洋服のオーダーを受けて制作・販売をしていました。常に何らかの仕事を時に並行しながら続けていたように記憶していますが、その後、体操服の赤白帽を作る内職に変わって、私が中学生になる前には、ポーラ化粧品のセールスレディーに転身。さらに、高級下着のセールスにも携わり、最終的には店舗を持つほどになりました。70歳で亡くなる直前までずっと仕事をしている人でしたね。

――九州といえば、「九州男児」という言葉もあるように、亭主関白なイメージが強いです。今はずいぶん変わってきていると思いますが、当時はやはり、共働き家庭は珍しかったのでしょうか。

中村 そうですね。内職をしたり、家が商売をしていてそれを手伝うという女性はいましたが、そのころは、あまり女性が外に働きに出るという時代ではなかったですね。母は、農繁期には実家の農家の仕事を手伝いながら、外に出て働いていました。セールスの売り上げも良くて、長崎県でナンバーワンの売り上げ成績だったんですって。

――トップセールスとは、すごいですね。そんなお母様の姿を見て仕事をする女性に憧れたのですか。

中村 いえ、いえ、憧れとかじゃなくて……。そんなに働き詰めの母なのに、父が亭主関白で。家にはいないし、いるときは不機嫌で怒ってばかりだったので、私にとって怖い存在でした。母に対して感謝の気持ちはほとんど表現せず、文句ばかり言っていたんです。家のことや子育ては、すべて女がするべきという考えでした。そんな両親を見て「女性って、結婚したって何もいいことがない」と、子ども心に強く思っていました。そして至った結論が、結婚はせずに自立をしたいということです。

――そうした環境もあって、自立心旺盛なお子さんだったのですね。具体的には、いつごろから自立を考え始めたのでしょうか。

中村 小学生くらいからです。当時から、「結婚はしたくないから、経済的に自立することが大事だ」って思っていましたが、具体的な仕事までは思い浮かびませんでした。中学校の卒業式で担任の先生に寄せ書きをしたんですが、その色紙に「結婚しません」って書いたら、慌てて呼び出されて「結婚しなきゃだめだぞ、中村!」って叱られましたね(笑)。

働き者の母の哲学

――夫に評価されない中でも、粛々と忙しく働き続けるお母様を中村さんはどのように見ていましたか。

中村 色々な仕事に挑戦して、ずっと働いている母のことはすごいなあと思って見ていました。農業は、きつい仕事というだけでなく、収穫があり過ぎると値段が下がるというケースもありますよね。母からしてみると、実家での農業の現実を見てきて、「こんなに毎日大変で、頑張っても必ずしも報われるとは限らない仕事は自分には難しい」「農業に比べると、他の仕事の苦労は取るに足らない」と感じていたようです。実際、母は裁縫やセールスの仕事を楽しんでいたように思います。

――仕事をしながら、家事も子育ても一手に引き受けてという状態は、今でいうワンオペ育児ですよね。様々な苦労もあっただろうと思います。

中村 それが、泣き言みたいなことは一切言わない人だったんです。大らかで、子どもにつらく当たることなんてないし、父のことも一切悪く言わなかった。当時、私たちは父がいると、緊張して食事が喉を通らなかったくらいだったんです。でも、「お父さんは、本当は優しい人なのよ」「本当はあなたたちのことが大好きなのよ」と言ってくれていましたね。

――ワンオペしながら、夫のフォローまで……。そうすると、幼少期、子どもからすると理不尽な状態ではあっても、お父様に対しての印象は肯定的なものになったのでしょうか。

中村 いえ、残念ながら(笑)。「結婚はしない」「私は自立する」と固く心に決めていました。ただ、成長してからは、原爆の被害者で戦争のため高校に進学できず、苦労した父の人生が少しは理解できるようになったと思います。

母は忍耐の人。がんで余命数カ月と言われ、ホスピスにいたときに初めて、「お父さんはちっとも家にいてくれなかった。子どもたちともっと一緒にいてほしかったのに。つらかった」って本心を聞きました。達観している人だと思っていたのだけど、本当はそうした一面もあったんだなって初めて気づきました。きっと母は人生は大変なのが当たり前、という哲学を持っていたんじゃないかなと思うんです。大変だけれど、その中に楽しみや喜びを見つけていこうとしていた。母を亡くした前後にそう考えるようになりました。

仕事で落ち込む母を励ました中学時代

――お母様は、セールスでもトップの成績を収められ、ビジネスパーソンとしても優秀だったんですね。

中村 そうですね、私が大学で東京に出てきてからも、毎年トップの成績で、東京での表彰式に呼ばれて上京していましたから。

でも最初は大変だったみたい。やっぱり一軒一軒訪問してのセールスって厳しいじゃないですか。何かちょっとへこんでいたのかな、母を見て、「自分の仕事に誇りを持って。だって人を綺麗にする仕事なんだから!」って励ましたのを覚えています(笑)。

――なんと大人びた中学生! お母様はさぞ元気づけられたことでしょう。ところで、お母様は子どもの教育や子育てについてはどんなふうにお考えだったんですか。

中村 特に何も……(笑)。母からは勉強しろとか、どんな進路につけとか全く何も言われたことはありません。とにかく放っておかれていました(笑)。母自身も、農家の8人きょうだいで小さいころから親に手厚く世話をしてもらったことはなかったと思います。だから、自分の子どもにも同じように接していた。でも、私もそのことに不満はなかったですね。子どものころはきょうだいや近所の子どもたちと一緒に遊んで、友達の家に行ったり、いとこの家に泊まったり、いつも周りはにぎやかで全然寂しくなかったし、楽しかったです。

六大学ラグビーに憧れて上京

―― のびのびと育った子ども時代を経て、中村さんは早稲田大学に進学されています。

中村 高校のラグビー部が全国大会に出場するほどで、ラグビーが大好きになったんですね。それで六大学ラグビーに憧れて、生で見てみたい!と思って。最初は、六大学であればどこでもよかったんです(笑)。勉強自体は嫌いじゃなかったんですが、当時の私は、実力で早稲田大学に入れるほどの成績ではなかった。高校2年の冬休み明けに六大学を目指せないか、担任の先生に相談したら、一言「無理だ」って言われました。

――上京したかったのは、ラグビーのためだ、と(笑)。現役で早稲田大学の商学部に入っていますが、無理だと言われて奮起したのでしょうか。

中村 それが不思議なことが起きて、その年に初めて早稲田大学の学校推薦枠がうちの高校に来たんです。ラグビー部の主将が受けるだろうという噂が流れて、「あいつが行くなら仕方ない」とみんな諦めて応募しなかったのに、彼は受けなかったんですよ。結果、私一人だけしか応募していなかったの! 学校の成績はそこそこ良かったので、運良く進学できることになったんです。

――東京への進学について、ご両親の反応はどうでしたか。

中村 父は、もちろん反対です。全てに反対する人ですから(笑)。でも母は「芳子の好きなようにすればいい」と思っていて、「行きたいところに行かせてあげたら?」と父に言ってくれたんです。母からは、「その代わり、お父さんに頭を下げてお願いしなさい」と言われて。明日までに入学を決めなくては……という日に父もようやく許してくれました。

自分で考え行動する強さができた

――お父様が、何でも反対をするというのはなぜだったのでしょう。

中村 父は父の価値観の中で、男はお金を運んでくるのが仕事で、女は家庭にいて平凡に生きるのが幸せだと思っていたんだと思います。裏を返せば、私の幸せを願ってくれたのだと……。ただ私は私で、親から放っておいて育てられたから、いつも自分で考えて行動する習慣がついていました。だから、自分で、正しいと思って選んだ道に対し、父が反対しても、もうそれを真に受けたり揺らいだりはしなくなっていったんですね。

――商学部を選んだのは、やはり自立への思いもあってのことでしょうか。

中村 はい。やはり父や母を見ていて、女性が経済的に自立することはすごく大事だって思ったんです。本当は英語や文学に興味があったけれど、それでは安定した就職先に結びつくとは、当時思えなかった。仕事につなげるなら、語学系ではなく、社会科学系だと。正直、まわりに大学に行く人もそんなにおらず詳しいことは分かっていなかったんです。商学部でなくても経済学部でも法学部でも何でも良くて、ただ「大学で学べば、きっと就職できる」と、思っていたんです。

――大学卒業後は、創業したばかりのファイナンシャルプランニングの会社に就職されました。

中村 新卒での最初の就職先は、大手の電機メーカーだったんです。でも翌年に、日本で最初のファイナンシャルプランニングの会社の求人を見てすぐ応募し、転職しました。社員5人の会社でほとんどゼロからのスタートで、すごく楽しかったですね。勝手に転職して父は怒っていましたが(笑)。

――この期間にFPの資格も取られたんですか。

中村 当時、FPの資格はまだ日本ではなかったんです。ライフプラン表など、だから自分たちでゼロから考えて作りました。今もFP協会のホームページからダウンロードできますよ。当時は指針がなかったから、全部自分たちで情報を集め、消化をして、対策を考えて発信するということをしていました。「シングルの人は生きるための保険が必要だから医療保険だけでいい」とか「投資をするならインデックスファンドを積み立てで」とか、今では常識となっていることも、言いだしっぺは私です。5年ほどして会社を辞める前に、お金の本を出版できたことはすごく良かったですね。

29歳で会社を辞めて留学へ

――手に職をつけたいという小さいころからの夢が、実際に叶いました。キャリアが順調な中で、なぜ退職の道を選んだのでしょうか。

中村 がむしゃらに働くことに疲れていたというのもあったし、これが本当に自分の進みたい道かなという疑問もありました。それにずっと留学をしてみたいと思っていたけれど、学生時代にはできなかったから、やってみようと思ったんです。30歳を前にして、今でいう「自分探し」みたいなものね。

――オーストラリアに行かれたんですよね。どんな生活でしたか。

中村 留学に憧れていたとはいえ何を勉強したいのか分からなかったので、英語をブラッシュアップしつつ、外の世界を見てみようと思いました。色々なつてや知り合いをたどっていくうちに、ちょうどタイミングよく、オーストラリアに知り合いが何人かできたんです。彼女らを頼ってパース、アデレード、ブリスベンの三カ所に、合計半年くらい滞在していました。一人旅も経験し、この時の出会いで人生観が大きく変わりました。

――そのとき、ご両親は……。お父様はやはり反対したのでしょうか。

中村 会社を辞めたのも報告していなかったら、父が何かの用事で前の会社に電話をしてきて、「中村さんは、もう辞めました」と言われてバレたの(笑)。怒って電話をかけてきたからその時に、「オーストラリアに行きます」って言った気がします。もうあまり覚えてないんですけどね。だってもう大人だしね。私の人生だから色々言われてもしょうがないですよね。

あまり強く意識したことはありませんが、両親が共働きで、小さいころから自主性に任せられる部分が多かったから、自分で考え、自分で行動し、失敗しても責任は自分で取るという習慣が当たり前に身に付いていたように思います。

中村芳子
 長崎県生まれ。早稲田大学商学部卒。有限会社アルファアンドアソシエイツ代表取締役、ファイナンシャルプランナー。女性FPの会(現WAFP)初代理事長を務める。自由で豊かな人生を生きるためのお金の貯め方・使い方をテーマに、執筆・講演、個人のマネー相談などを行う。著書に『結婚したら、やっておくべきお金のこと』(ダイヤモンド社)、『女性が30代で必ずやっておくべきお金のこと』(PHP研究所)など多数。

(ライター 玉居子泰子)

[日経DUAL 2017年8月9日付記事を再構成]

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