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日本初の女性FP 自立促した生涯現役の母の生き様

日経DUAL

2017/10/12

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 日本人女性で初めてのファイナンシャルプランナーとして、執筆活動や家計相談など幅広く活躍する中村芳子さん。「経済的な自立」を求めて、大学卒業後にファイナンシャルプランナーとなり、29歳で仕事を辞めてオーストラリアへ。その後、30歳で起業と自分が信じる道を突き進んできた中村さんですが、その決断力と行動力は、子ども時代に共働きの両親に「放っておかれたこと」から生まれている、と振り返ります。

 亭主関白な家庭で育った経験から、長らく女性が結婚することのメリットを見い出せず、「小学生時代から29歳まで結婚願望がゼロだった」と言う中村さん。オーストラリアでの出会いを機に夫婦・家族の在り方の固定的な価値観から解放され、その後結婚、現在は実子と養子、二人の娘と夫と自分流の生活を送っています。働く親として生涯現役を貫いた母親との思い出、経済的自立を目指したキャリアの模索期、さらに、共働き家庭で育ったことで身に付いた、自ら考え行動する習慣について聞きました。

(写真:品田裕美)

■幼いころから自立が目標だった

――中村さんは、日本の女性ファイナンシャルプランナー(FP)第一号として知る人ぞ知る存在です。長崎出身でいらっしゃいますが、幼いころはどんなご家庭で育ったのですか。

中村芳子さん(以下、敬称略) 最初からFPを目指したわけじゃないんです。そんな仕事はありませんでしたから(笑)。ただ、子どものころからずっと経済的に自立していたいという気持ちは強く持っていました。

 父は普通のサラリーマンで、高度経済成長期だったこともあり、仕事でほとんど家にいない人。母は結婚前にはバスガイドとして働いていて、私や妹・弟が生まれてからは洋裁学校の経験を生かして、近所の人たちから洋服のオーダーを受けて制作・販売をしていました。常に何らかの仕事を時に並行しながら続けていたように記憶していますが、その後、体操服の赤白帽を作る内職に変わって、私が中学生になる前には、ポーラ化粧品のセールスレディーに転身。さらに、高級下着のセールスにも携わり、最終的には店舗を持つほどになりました。70歳で亡くなる直前までずっと仕事をしている人でしたね。

――九州といえば、「九州男児」という言葉もあるように、亭主関白なイメージが強いです。今はずいぶん変わってきていると思いますが、当時はやはり、共働き家庭は珍しかったのでしょうか。

中村 そうですね。内職をしたり、家が商売をしていてそれを手伝うという女性はいましたが、そのころは、あまり女性が外に働きに出るという時代ではなかったですね。母は、農繁期には実家の農家の仕事を手伝いながら、外に出て働いていました。セールスの売り上げも良くて、長崎県でナンバーワンの売り上げ成績だったんですって。

――トップセールスとは、すごいですね。そんなお母様の姿を見て仕事をする女性に憧れたのですか。

中村 いえ、いえ、憧れとかじゃなくて……。そんなに働き詰めの母なのに、父が亭主関白で。家にはいないし、いるときは不機嫌で怒ってばかりだったので、私にとって怖い存在でした。母に対して感謝の気持ちはほとんど表現せず、文句ばかり言っていたんです。家のことや子育ては、すべて女がするべきという考えでした。そんな両親を見て「女性って、結婚したって何もいいことがない」と、子ども心に強く思っていました。そして至った結論が、結婚はせずに自立をしたいということです。

――そうした環境もあって、自立心旺盛なお子さんだったのですね。具体的には、いつごろから自立を考え始めたのでしょうか。

中村 小学生くらいからです。当時から、「結婚はしたくないから、経済的に自立することが大事だ」って思っていましたが、具体的な仕事までは思い浮かびませんでした。中学校の卒業式で担任の先生に寄せ書きをしたんですが、その色紙に「結婚しません」って書いたら、慌てて呼び出されて「結婚しなきゃだめだぞ、中村!」って叱られましたね(笑)。

■働き者の母の哲学

――夫に評価されない中でも、粛々と忙しく働き続けるお母様を中村さんはどのように見ていましたか。

厳しい存在だった父と、化粧品や高級下着のセールスに携わり、生涯現役を貫いた母

中村 色々な仕事に挑戦して、ずっと働いている母のことはすごいなあと思って見ていました。農業は、きつい仕事というだけでなく、収穫があり過ぎると値段が下がるというケースもありますよね。母からしてみると、実家での農業の現実を見てきて、「こんなに毎日大変で、頑張っても必ずしも報われるとは限らない仕事は自分には難しい」「農業に比べると、他の仕事の苦労は取るに足らない」と感じていたようです。実際、母は裁縫やセールスの仕事を楽しんでいたように思います。

――仕事をしながら、家事も子育ても一手に引き受けてという状態は、今でいうワンオペ育児ですよね。様々な苦労もあっただろうと思います。

中村 それが、泣き言みたいなことは一切言わない人だったんです。大らかで、子どもにつらく当たることなんてないし、父のことも一切悪く言わなかった。当時、私たちは父がいると、緊張して食事が喉を通らなかったくらいだったんです。でも、「お父さんは、本当は優しい人なのよ」「本当はあなたたちのことが大好きなのよ」と言ってくれていましたね。

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