1冊で3本、湊かなえの小説に欠かせない赤ボールペン
デビュー作『告白』で旋風を巻き起こし、さまざまなベストセラーを世に送り出してきた湊かなえさん。彼女が持ってきた「これじゃないとダメ」という仕事道具は、ごく普通の赤いボールペンだった。
ペン先の太さも持ち心地もちょうどいい
「単行本一冊分の原稿のゲラの作業(印刷前の原稿直し、校正の作業)に、私は最低でも1週間はかかるんです。1日1章くらいずつ、書いては直し、書いては直しと、赤を書き込んでいく。その時に、ペンが手になじまなかったら、ゲラの中身よりそっちの方が気になって、作業に集中できないんです。
この『ユニボール シグノ』(三菱鉛筆)は、持ち心地が良くて、ペン先の太さもちょうどいいんですよ。ペン先は、0.38ミリを使います。行と行の間に小さく文字を書いたりするので、0.5ミリだと文字が潰れて、イライラのもとになるんです。かといって、これより細くなると、削れた紙がペン先に詰まって、インクが出なくなってしまう。絶対に、この0.38ミリじゃないとダメなんです。
硬さも、これが一番いいです。私は筆圧が強いので、ペン先が硬かったり尖っていたりすると、だんだん手が疲れてくるんです。でもこれはペン先が丸いので、手に圧がかかりにくい。ほかのメーカーにも0.38mmのペンはありますが、それらは持つところの太さが違ったり、重さが違ったりするので、やっぱりこれじゃないと……って、すごい、何の宣伝なんやろ(笑)。
時々ね、ゲラと一緒にペンを送ってくださる出版社があるんですよ。だいたい一冊分で3本くらいは使い切ってしまうので、10本くらいまとめて送ってくださったり。送ってもらったら、それで書こうかなと思うじゃないですか。でもやっぱり手が疲れてきて、『この太さじゃないんだ』と思ったりして。結局、シグノに持ち替えることが多いです」
購入するのは、イオンの文具コーナーなどで。ディズニーとの限定コラボ品などを見つけると、「一応、黒と赤を買っておくか」とストックしておくという。一方、原稿の執筆には、ソニーのパソコン「VAIO」を使用してきた。
「デビュー前の(文学賞などへの)応募原稿の頃から、ずっとVAIOを使ってきたんです。なのに、ソニーがVAIOの生産をやめたじゃないですか(※現在はソニーからパーソナルコンピューター事業を承継したVAIOという会社が生産している)。今持っているVAIOが壊れたら、どうしたらいいんだろう、と(笑)。
パソコンは2台あって、執筆用とインターネット用で分けているんです。なぜかというと、『映画の予告編ができたのでご確認ください』と映像をメールに添付される機会が増えてきて、開いたら、パソコンが止まってしまったことがあったから。しかも勝手に初期化を始めて、原稿が全部飛んでしまったんですよ! それがすごくショックだったので、原稿を書いたらUSBに入れて、ネット用のパソコンに移してからメールで送るようにしています。
ネット用には、NECのパソコンを買いました。でもVAIOのように使いこなせないので、まだまだこのVAIOにがんばってもらわないと(笑)」
映画に映る「知ってる場所」に興奮
9月16日公開の映画『望郷』は、湊さんの短編集『望郷』から、「夢の国」「光の航路」を実写化した作品。2編とも舞台は、瀬戸内海の小さな島。「夢の国」は、閉鎖的な島の人間関係に縛られながら生きてきた母娘の物語。「光の航路」は、造船所で新船の門出を祝う進水式にまつわる父と息子の感動のドラマとなっている。
「小説家になった時から、『自分に書ける世界は何だろう』と考えていて、浮かんだ1つが、島での暮らしでした。私は広島の因島で育って、教員の仕事で行ってからは、淡路島に住み続けているんです。なので、ほかの人より知っているのは島の暮らしだ、と。
『望郷』には、島での生活で感じてきたことを盛り込んでいます。
例えば、島の子どもが『ディズニーランドに行ってみたい』と親に言うと、だいたい『高校の修学旅行で行くでしょ』って、ごまかされるんですよ。私の場合は修学旅行がスキー場に変更になって、結局、大学生になるまで一度も行けなかったんですけど(笑)。
そういう夢の国への憧れや、造船所の進水式の話は絶対に入れたいと思っていました。
私の親は造船会社で働いていて、中学1年生の時に最後の進水式があったんです。それから造船所が閉鎖になって、島に元気がなくなっていったので、すごく印象に残っていて。
船や海が身近にあった分、今でも、航海を例えに使うことが多いです。それは私だけじゃなく、例えば地元の友達の結婚式に行くと、必ず誰かが挨拶で進水式の話をして、『今日から2人の航海が始まります』と結ぶ(笑)。
そうでなくても、人生を航海に例える人は多いですよね。その出発点で、心のよりどころとなる進水式のことは知っておいた方がいいんじゃないかという思いもありました」
そんな『望郷』の映画化に際し、ロケ地として選ばれたのは因島だった。
「今までは執筆中に特定の場所を思い浮かべたりしませんでしたが、『望郷』は自分が生まれ育った場所をイメージしながら書いたんです。その因島でロケが行われたということで、完成した映画を見た時は、うれしかったですね。『すごいよ、因島だよ!』って。映るのはほぼ全部、知っている場所なんです(笑)。『まあ、キレイに撮ってもらって!』みたいな気持ちで興奮しながら見ていました(笑)。
小説家にとって、映像化は、ご褒美みたいなものです。『今度はどんなふうに撮っていただけるんだろう』って、いつも楽しみ。映像をきっかけに本を手に取ってくれる人もたくさんいるので、『望郷』でもまたひとつ、本への入り口を広げていただいたなと思っています」
デビュー直後、炊飯ジャーに携帯電話が
湊さんは、青年海外協力隊(2年間のトンガ赴任)、高校の家庭科非常勤講師などを経て、27歳で結婚、28歳で出産。家事・育児の傍ら創作活動を始め、30歳を超えてから脚本のコンテストに応募した。
「脚本を書いたのは、小説のように比喩や言い回しを気にせず、頭の中にある映像をそのまま書けると思ったから。それで賞をいただいたんですが、『脚本家になるなら、地方在住は難しい』と言われて、小説を書くことにしました。
デビューしてからの数年間は、記憶がないんです。24時間で2人分生活している感じだったので、『何でこんなところからこんなモノが……』と思うことがたくさんありました。炊飯ジャーの中から携帯電話が出てきたり、冷蔵庫から時計が出てきたり(笑)。きっと家事をしている時に仕事の電話がかかってきたりして、そこに置いたのかな、と思うんですけど。
少しでも考えて立ち止まったら、一気に崩れそうで。とにかく目の前にある依頼をこなしていったら、いつの間にか10年近くたっていて、子どもも高校生になっていた、という感じです」
モノからアイデアが広がることも
小説を書くとき、「モノから始める」こともあるという。
「頭の中を水面みたいなイメージにして、編集の方に言葉を投げてもらう。そこから波紋が広がって、面白そうだなと思ったものを書いていくということがあります。
例えば編集の方から『携帯電話はどうですか?』と言われたら、携帯を使って何ができるかな、と考える。『手紙はどうですか?』と言われて、書簡形式の作品を書いたこともありました。
私はそんな『お題』をいただくのが好きなんです。初めての応募原稿になった川柳もそう。お題は『カバン』で、考えた川柳は『色あせた 映画の半券 時止める』でした。時々、カバンの中に映画の半券が入りっぱなしになっていて、『誰々と見たな』と思い出したりしませんか? この川柳が雑誌の川柳コーナーで最優秀賞に選ばれたときは、うれしかったですね。
今、モノから始めるとしたら、携帯電話はもういろいろ活用されているので、もっと古風なものでいきたいですね。何があるんだろう……風呂敷とか?(笑)。
ペンもいいかなと思います。いろんな人の手に渡りやすいので。旅先で借りて持ったまま……みたいな連作もいいかもしれない。ただ、ペンは使っていた人の形跡が残らないので、形跡が残るものがいいかな。そう考えると、手帳とか……。
あとは、靴。この前、高速道路に、靴が落ちているのを見たんですよ。子どもの靴なら、ガチャガチャ騒いでいて落としたのかな、と思えるんですけど、女性用の靴が一足落ちていたので、ドキドキしましたね。『いったい何が起きて、ここに靴が落ちているんだろう?』って(笑)」
1973年生まれ、広島県出身。2007年に小説推理新人賞を受賞し、08年に「告白」で作家デビュー。第6回本屋大賞などを受賞し、中島哲也監督による映画版は興行収入38.5億円を記録した。以降、「白ゆき姫殺人事件」「少女」「夜行観覧車」「Nのために」「リバース」など、多くの作品が映画化やドラマ化されて話題に。12年には連続ドラマ「高校入試」(フジテレビ系)の脚本を手がけるなど、多方面で活躍している。
『望郷』
かつて造船で栄えた、瀬戸内海の島。しきたりに縛られながら育った夢都子は、憧れの「ドリームランド」の閉園を知り、ある決意をする。一方、転任で本土から島に戻った教師の航は、亡き父との進水式の思い出の真実を知る……。監督・菊地健雄 原作・湊かなえ(「望郷」文春文庫刊) 脚本・杉原憲明 出演・貫地谷しほり、大東駿介、木村多江、緒形直人 9月16日(土)新宿武蔵野館ほか全国拡大上映
(文 泊貴洋、写真 吉村永)
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