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物静かな日本人の熱狂に驚き 仏写真家が見た東京五輪 レイモン・ドゥパルドン氏、半世紀の変化をカメラに収める

2017/9/20 日本経済新聞 朝刊

1964年に撮影した東京五輪 (C)Raymond Depardon/Dalmas-Sipa Press J.O.Tokyo 1964

 1964年の東京五輪。男子マラソンのゴールがある東京・国立競技場に日本人選手が上位で戻ってきたとき、会場全体が割れんばかりの歓声に包まれた。銅メダルを獲得した円谷幸吉だ。物静かで控えめな印象だった日本人の観客の、どこにこんなパワーが眠っていたのか。記者席にいた私は驚きながら夢中でシャッターを切った。

■新米の報道カメラマンとして初来日

写真家のレイモン・ドゥパルドン氏

 当時、22歳。駆け出しの報道カメラマンだったフランス人の私にとって、初めて訪れた日本はとても刺激的だった。五輪終了後もしばらく滞在。2千枚を超すモノクロ写真を撮った。

 その後も何度か訪れて東京を撮ってきた。2020年の五輪まであと4年となった昨年、今度はカラーで撮影した。断続的ではあるが、半世紀以上見つめ続けてきた東京は今も刺激的に映る。

 五輪取材はパリの報道写真が専門のエージェンシーの依頼だった。開催数日前に到着すると競技場の周りは選手団や旅行者など驚くほどの人であふれかえっていた。ありとあらゆる言語が飛び交う異国の地で迷子になったような感覚を覚えた。

 日本人にも、これだけ多彩な外国人を見るのは初めての経験だったのではないか。当時、人気があったのはアフリカ系の人々。民族衣装を身に着けて会場に向かう様子などを好奇心いっぱいの目で見つめていた。

 フランス人の私は残念ながらそこまで日本人の興味をひかなかったが、それでも非常に優しいまなざしで受け入れられたことは忘れられない。とても居心地が良かった。

■観客席で多くの日本人がカメラ構える

 五輪会場で印象的だったのは観客席にカメラを構える一般の日本人が多くいたことだ。その数はフランスより多い。こんなにも写真を撮ることに喜びを感じる国民は他にはいないのではないか。そう考えると、日本の写真機が発展したのは当然のように思う。実際、私もこの頃から日本メーカーのカメラも使い始め、その良さを実感した。

1964年に撮影した東京五輪の観客席  (C)Raymond Depardon/Dalmas-Sipa Press J.O.Tokyo 1964

 東京五輪はテレビ中継が格段に進歩した大会でもあった。時差の関係で放送時間もちょうど良かったのだろう。フランスでも大いに注目された。

 来日前に雑誌などで見ていた日本は、寺社など伝統的な建物が並ぶ風景だった。だが、実際は近代的な建物が密集する街だった。ギャップに戸惑い、この大都市をどこから切り取り、母国に伝えればいいのか迷った。

 五輪後に東京を離れてベトナムに向かった私は、アルジェリアやチャドなど紛争地を多く撮影してきた。77年にはピュリツァー賞を受賞。国際的な写真家集団「マグナム・フォト」の正会員にもなり、充実した時を過ごしてきた。

 紛争地での取材の合間に日本は何度か訪れたが、64年の五輪の後、急速に移り変わっているように感じる。最も顕著なのは女性の変化だろう。

■「街中で居場所探している人」増えた

 初めて来日した頃は街に女性の姿は少なく、見かけても和服姿の彼女らは引っ込み思案でとてもシャイだった。それが今では美しい洋服を着こなし、ひとりで堂々と街を歩く女性が何と増えたことか。女性が自由を謳歌している点では東京はパリやニューヨークに並ぶ世界で先進的な都市だ。

 もちろん、いいことばかりではない。貧困や人間関係に苦しむ人もいるはずだし、隣人が誰かも分からず他人に無関心な人も増えたことだろう。2016年に撮影した東京は、街の中で自分の居場所を探している人が増えたような気がする。

 面白いのは空間のシェアの仕方だ。カフェで、路上で、喫煙所で。人々は絶妙な間合いを見つけ同じ空間を他人と分かち合っている。私はそうした変化を価値判断するつもりはない。ただ、目の前に映る光景を切り取るだけ。カラーで写した東京は未来を感じさせて、まだ変わり続けるであろう街にわくわくする。

 1964年の五輪の様子から2016年のカラー写真まで、東京を写した作品の展覧会を10月1日までシャネル・ネクサス・ホール(東京・中央)で開催中だ。半世紀を振り返るとともに、直近の東京の表情から次の五輪に向けた変化の兆しも感じ取れるはずだ。

 常に動き続ける東京で雑踏に紛れ込み、シャッターを切るのは実に心地よい。いつの日かまた、私はここに戻ってくるだろう。

[日本経済新聞朝刊2017年9月12日付]

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