74歳「匠」が伝える100%オーダーメード
オーダースーツの銀座英国屋(上)
東京・銀座の高級スーツ店「銀座英国屋」を運営する英国屋(東京・中央)は、顧客一人一人、採寸して型紙をつくり、スーツを仕立てるテーラーの老舗だ。1940年創業の同社が保管する型紙は2万点以上。そのなかにはホンダの創業者、故本田宗一郎氏のものもある。独創的な発明家らしく、スーツ1着にも自分なりの工夫を凝らしていた。店の担当者と議論を交わし、パンツのファスナーを長くして簡単に脱げるようにしたという。これは、その後の英国屋の仕様にもなった。「ビスポーク(bespoke=オーダーメード)を通じてお客様に満足いただける1着を提供するという伝統は今も変わらない」と同社の小谷邦夫副社長は語る。
後編「ビスポークスーツ、「技」継承へ分業体制」もあわせてお読みください。
銀座通りに面した本店には欧州を中心に取り寄せた約1000着の最高級生地を用意しており、専門のフィッティング技術者も配置している。まず生地を選び、ポケットの位置などのディテールを決めていく。採寸をもとに生地を裁断するための「型紙」を作製、「仮縫い」までに約2週間、さらに「本縫い」に約3週間かけて、その人だけの1着が完成する。英国屋の平均価格は1着25万~30万円ほど。
英国屋の強みは「本縫い」の技術の高さにある。それを専門に手掛けるのが、本店からほど近い新富町にある直営工房だ。約200平方メートルの工房では約40人がスーツ作りに従事する。1人の職人が裏地の縫い付けから最後のアイロン掛けまで、すべてを担当する。工房ではベテランと中堅、若手が一対一のコンビを組んで差し向かいに座って作業する。ベテランの職人は自分の担当をこなしつつ、後輩の仕事ぶりもチェックする。
最年長は74歳の水本忠正氏で、約半世紀のキャリアを持つ同社の最高技術者だ。同社の定年は制度上60歳だが、小谷副社長は「手作りの技術は何ものにも代えがたい」と話す。このため技術者本人が希望すれば、仕事を続けられる制度とした。
水本氏がアパレル業界に入ったのは16歳のとき。針、ミシン、アイロンなどの使い方を先輩の仕事ぶりを見よう見まねで学んでいった。「先輩の技を盗んでいくのが仕事の一部だった」(水本氏)。
住み込み賄い付きで月給5000円。「技術が身につけば半年後から給料が上がる仕組みだったのがうれしかった」と水本氏は振り返る。
当時は高度成長期のまっただ中。会社からの帰りには、次々と新しくなっていく銀座の街のショーウインドーを眺めて回る毎日だった。「他社のスーツでもどの部分にどんな工夫をしたかは見てすぐ分かる」と水本氏は語る。
現場の作業で難しいのは針の使い方と生地の「くせ取り」をするためのアイロンワークだという。
どれだけ自然に動けるか、肩を大きく回すなどの大きな動作でも優雅さを損なわないか――が、スーツづくりのポイント。水本氏は「右手で使う針はもちろんだが、肝心なのは左手の生地の持ち方だ」と強調する。
肩や袖など、着用した顧客の動きが大きい部分の縫製はとりわけ細心の注意が必要になる。水本氏は「縫い方が全く同じスーツはない。一つ一つ、針の持ち方が違ってくる」と話す。
アイロン掛けはさらに複雑だ。アイロン台も馬型、ラバン、鉄マン、チーズボードなど5~6種類を当てる部分によって使い分けなければならない。スーツを顧客の体形にフィットするように立体的に仕上げるのに欠かせないからだ。こちらも当てる角度や時間など1着ずつ微妙に違ってくる。
水本氏はこれまで何十人もの若手を教育してきた。「一人前になるのに10年はかかる」というが、「それでも教え切れない部分は残る。最後は本人の感性で勝負するしかない」(水本氏)。
「スポーツ選手と同様、スーツ職人にも全盛期がある」と水本氏は話す。経験の積み重ねによる技術と体力がうまくかみ合う30~40歳代がそれ。水本氏も「若い頃は月12着も作製できたが現在は4着ほどだ」という。ポイントは何といっても「目」にあるそうだ。目が衰えると格段に針仕事の作業が遅くなり、完成まで時間がかかってしまうという。
工房のスーツ職人の平均年齢は60歳代。高齢化はアパレル業界全体の問題でもある。このため英国屋は、子会社の縫製工場で作業工程ごとに細かく分けた分業制を導入している。特定の工程なら、若い世代やパートも習熟しやすいからだ。「品質が落ちる恐れもなくなる」と水本氏は話す。
この業界の目利きたちは、相手のどこを見るのか。小谷副社長は初対面の人と会ったとき、まず靴、さらにシャツをチェックするという。「自分の会社で背広を扱っているが、スーツに目が行くのは3番目」。
靴はちょっと高いかな、と思ったレベルのさらにもう1ランク高いものを購入するのがコツという。高価な品だからこそ、大事に扱い、手入れなども自然にこまめになる。「シャツも綿の天然素材を着ていると相手が若くても一目置きたくなる」という。
少子高齢化などを背景に、衣料品の市場規模は縮小する一方だが、「体形にフィットとしたスーツを着たいというニーズは若い世代にまで徐々に増えている」と小谷副社長は話す。けん引役となっているのは金融関係者やコンサルタントなど、ビジネスの第一線で活躍する30歳代だ。小谷副社長は「20歳代のころからちょっとだけ身だしなみに気をつける習慣をつけておくと、オーダーメードのスーツをつくる際に自分がどんな1着をつくりたいかビスポークのレベルが違ってくる」と話す。
(松本治人)
後編「ビスポークスーツ、「技」継承へ分業体制」では、若手と女性が担い手となっている生産現場を訪ねました。
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