ムロツヨシ サブでも主役でもキラリ光る「喜劇役者」
映画、ドラマ、舞台に加え、コント番組などでも大活躍のムロツヨシ。CM契約も5社にのぼり、勢いが止まらない。主演の機会も増えた人気スーパーサブ(名脇役)は、どのように現在に至り、今後どこへ向かうのか。
2017年は福田雄一監督の映画『銀魂』やドラマ『スーパーサラリーマン左江内氏』で活躍。大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも好演を見せた。『LIFE~人生に捧げるコント~』(NHK)などバラエティにも引っ張りだこだ。
ムロが得意とするのはコメディ。肩書きは「喜劇役者」を名乗る。
「そう名乗るようになったのは、3年くらい前からだと思います。みなさんに名前を知られるようになってきたけど、踊らされたら短命に終わる。そんな危機感もあって、『どんな役者になりたいのか』と改めて自分に問うた時に、出てきたのが『喜劇役者』でした。
19歳で役者の世界に飛び込んだ頃は、喜劇をやりたいとか、人を笑わせたいという気持ちはなかったんです。ゴールデンタイムでやってるようなドラマや映画に出られる俳優になりたいと思っていましたし、なれるとも思ってました。根拠のない自信を持ってこの世界に入り、根拠のない自信を使い切るまでに、6年かかりました(笑)」
アルバイトをしながら小劇場の舞台に立ち続けるも芽が出ない日々が6年。「経験を積んで根拠のある自信を作ろう」と1年に8本もの舞台に出たのが26歳の時だ。
「自分に才能がないことを認めて、人に頭を下げて舞台に立たせてもらったら、お客さんが興味を持って見てくれるようになって。そしてある舞台で、1~2個だけ、『俺が笑わせたぞ!』というところがあったんです。『ああ、これが根拠のある自信か』と思って次の日の舞台に立ったら、今度はそこがウケない。人前に立つことの怖さとやりがいを感じました。同時に、笑いって大きいなと思いましたね。人を笑わせられたら僕はとても楽しいと思うし、もしそれができるなら、僕は人前に立ってもいいのかなと思うようになりました」
映像デビューは29歳。映画『サマータイムマシン・ブルース』(05年)の主要キャストに起用され、瑛太や上野樹里と共演した。監督は『踊る大捜査線』の本広克行。
「本広監督はもともと舞台を何度か見てくださっていて、8本出た時も、3~4本は見てくださっていて。僕が変わった瞬間を見抜いてくれたのかもしれません。
あとは、売り込みがすごかったみたいです、僕の(笑)。それまで『できれば使ってください』だったのが、26歳からは『使ってください!』と言うように。
この映画をきっかけに、瑛太とお酒を飲むようになりました。そこから新井浩文や松田龍平とつながって、年の差はありましたが友人となり。その後、小泉孝太郎と知り合って、小泉家にお邪魔したりもしました。孝太郎は『ムロさんが人に知られるためだったら、小泉家の話を売って構わない』と言ってくれたんですよ。何年か後、その通りにテレビで純一郎さんの話をさせてもらったら、『小泉家と仲のいい俳優』とメディアに取り上げていただいたりもしました。
小栗(旬)とも瑛太のつながりで知り合ったんです。2人には、人気者になった苦悩もそばで見させてもらいました。その頃、僕はお金がなくて。年下の彼らのお金でお酒を飲んだ帰り道は、なかなか辛いものがありましたね。でもその経験があったから、『俺も早く仕事が欲しい』『稼げるようになって、彼らに酒をおごりたい』と野心を持ち続けられた気がします」
不遇の時代の突破口となったのは、福田雄一監督との出会いだ。08年のドラマ『33分探偵』でムロは福田監督に認められ、意気投合。当時「僕のやりたいものはこれです、という名刺代わりに始めた」というプロデュース公演「muro式」に福田監督が脚本を提供したり、福田の映画監督デビュー作『大洗にも星はふるなり』(09年)にムロが出演するなど、「戦友」(ムロ)と呼ぶ関係に発展する。もう1人、福田作品を盛り上げてきた戦友が俳優の佐藤二朗だ。
「戦友」と主演の代表作を
「『大洗~』や『プロゴルファー花』(10年)の頃、僕は二朗さんとニコイチ(2人1組)の役をやることが多かったんです。でも、二朗さんの芝居に対して、僕は手も貸せず、ただリアクションしてるだけ。何もできないという歯がゆさがあり、『いつか二朗さんのライバルになりたい』と思っていました。
二朗さんが『見方が変わった』と言ってくれたのが、『勇者ヨシヒコと魔王の城』(11年)です。役者の世界には『台本を斜めに読む』という言葉がありますが、人と違う発想で台本を読み、福田脚本の中で自分がやりたいことが見えたのが『ヨシヒコ』なんです。『認めざるを得ないな。今回は』と二朗さんに言われてうれしかった」
14年に福田雄一脚本・演出の『新解釈・日本史』で民放連ドラ初主演を果たして以降、年1~2本ペースで主演もこなす。なぜムロは、サブ(脇役)を超え、「スーパーサブ」となりえたのか。
「主役を邪魔せず、作品の縁の下の力持ちになる。そんなバイプレイヤーって、カッコいいなと思うんです。でも、本心はですよ。本心の本心では、邪魔してもいいと思ってるんです!(笑)。この台本で、この役をやる。その時に、脇役だろうが何番手だろうが関係ない。『この役でこれがやりたい!』というものをやるべきだと思うし、『僕は脇だから……』とか考える方が、偉そうだと思う時がある。
だから僕は、自分のことをサブだと思ってません。レギュラーとか、スタメンだと思ってる(笑)。二朗さんと出会ってそういう考え方になったので、主役をやらせていただくようになっても、基本的な向き合い方は変わらないです。
今後は、ぜひ主演の代表作を作りたいですね。それはやっぱり、コメディがいい。しかもそれを、福田雄一と作りたい。これは夢とか目標ではなく、最低限の、絶対やるべきことだと思っています」
(ライター 泊貴洋)
[日経エンタテインメント! 2017年9月号の記事を再構成]
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