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それでも親子

八木亜希子さん 「人は人」きょうだいで別の道

2017/9/8

1965年、横浜市出身。88年フジテレビジョン入社、2000年退社。フリーアナウンサーや女優として活躍。J:COM「~週刊シティプロモーション~ご当地サタデー♪」などに出演中。

 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの八木亜希子さんだ。

 ――きょうだいがいるそうですね。

 「兄と姉、私の3人きょうだい。両親は共働きで、祖母と3人で育ててくれましたが『人は人、自分は自分』という価値観が共通していました。みんな個性がバラバラで、兄は理系の仕事、姉は絵描き、私はアナウンサーとそれぞれ別の道を歩みました」

 「母は洋裁の先生だったのでお手製の服を着せてもらいましたが、私は友達と同じものがよかった。キャラクターものなど『みんなが持っているから欲しい』と言うと、『みんなって誰?』と聞かれた。2人ぐらいしか挙げられず、いつも認められませんでした。1970年代に流行した乗り物、ローラースルーゴーゴーやバレエのグッズも同様。一方で、自分からやってみたいとお願いした電子オルガンは、幼稚園から高校まで続けられました」

 ――強い教えがあると。

 「たとえ人が見ていないところでも、悪いことをするとバチが当たるという教えです。結局、街では自分が知らない人から見られ、テレビなら視聴者からお叱りを受ける。天か視聴者か、誰かが常に見ていて本当に『バチ』が当たる仕事に就きました。昔からそういうものだと思う習慣がついていたので、心の準備ができていたと言っていいかもしれません」

 ――お父さんはどんな人でしたか。

 「父は家にいることが少ないけれど、いつも怒られていた気がします。高校生の頃、定期試験の後に7、8人で渋谷へ遊びにいったんです。すると帰りが夜の9時、10時になってしまった。最初に寄った私の家で『何時だと思ってるんだ!』と、全員が塀に沿って立って父に怒られました。それから門限は20歳になるまで夜10時。事前に申請しないと許されませんでした」

 「そんな父ですが、中学受験の合格発表は付き添ってくれました。ドキドキする私をよそに、『過ぎてしまえばみな美しい』と、当時流行していた歌謡曲を歌っている。父なりに心配していたのでしょう。就職でテレビ局を受けることにしたときも、知人のメディア関係の人を紹介してもらいました」

 ――アナウンサーになった後、両親との関係は。

 「大学卒業後は父は何も言わなくなり、生活の細かいことは母から注意を受けるようになりました。朝の情報番組に出演するようになり一人暮らしを始めました。家に帰ると『前髪が長いとパパが言っています ママ』や『お鍋のフタはぺたっと置かないように ママ』と、母からファクスが届きました。流れるようなきれいな字のお小言です」

「今は父は他界し、母は裁縫の先生をしながら姉と一緒に暮らしています。誰かの誕生日に集まるなど、月1回は行き来しています」

[日本経済新聞夕刊2017年9月5日付]

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