ピアニスト・上原彩子さん レッスンに厳しかった母
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はピアニストの上原彩子さんだ。
――ピアノを始めるのに親の影響はありましたか。
「母は短大のピアノ科を出ていて、結婚するまでピアノを教えていたそうです。私が3歳の時に母に音楽教室に連れて行かれたのが、ピアノを始めたきっかけです」
「母自身も教えていた経験があるから、ピアノについてはとても厳しかったです。レッスンについてきて、先生が言ったことを覚えて、家での練習でも徹底的に言われました。子どもの頃は団地に住んでいて、友達が遊んでいる声が聞こえてくるから私も行きたいのに、練習が終わるまでは絶対行かせてもらえませんでした」
「ただ子どもの頃は母と動物園や川遊びに行った思い出があります。ピアノに関すること以外では楽しく、自由にさせてくれました」
――お父さんはどのように見守っていましたか。
「母が厳しいぶん、父は優しくて、うまくバランスが取れていました。会社員で単身赴任が多かったこともあってか、家に帰ってきた時はいつも優しかったです」
――親に反発したことは。
「厳しくされていた反動か、中学生の頃は母につらく当たっていたかもしれません。コンクールの前などに『練習しなくていいの?』と言われるとつい『分かってるよ』と言い返してました」
「高校3年生の時に一度、チャイコフスキー国際コンクールを受けたんです。途中で落選しましたが。その後、もっと練習したいと高校を休学しました。でも、両親は『好きにすれば』と自由にさせてくれました。ありがたかったですね。結局、先生たちに『高校は卒業したほうがいい』と説得されて20歳で卒業しました」
――2002年、2度目の出場となったチャイコフスキー国際コンクールで優勝した時は、どんな反応でしたか。
「初回は見に来てくれたのですが、2回目は『来ないで』とお願いしました。ロシアまで旅費もかかるし、親が来るのは少しプレッシャーでもありました。電話で優勝を報告した時は、お互い照れているから『良かったね、おめでとう』くらいの言葉でしたが、喜んでいたと思います。日本時間の夜中か早朝でしたが、それまで起きて待ってくれていたみたいです」
――自身も3人の子育ての真っ最中です。
「母のように子どもにうるさく言いたくなる気持ちが分かるようになりました。いまだに親には世話になっていて、子育てで助けてもらっています。頭が上がりません」
「母からは今もコンサートの後に『またあそこで間違えたでしょう』と指摘されます。ズバズバと言ってくれるのでありがたい半面、そこまで言わなくてもと思います。そんなところは子どもの頃から変わらないですね」
[日本経済新聞夕刊2017年8月29日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。