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それでも親子

キャスター・伊藤聡子さん 父譲りのチャレンジ精神

2017/8/18

1989年、「サンデーモーニング」(TBS)でデビュー。その後、様々な番組でキャスターを務めた。お昼の情報番組「ひるおび!」(同)出演中。新潟県出身、50歳。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はキャスターの伊藤聡子さんだ。

――幼少期を新潟県で過ごしたそうですね。

「両親とも糸魚川市生まれ。父は県内の建設会社に勤め、そこで事務をしていた母と出会いました。しかし、母方の祖母が結婚を認めてくれず、苦労したそうです」

――どうして反対されたのでしょう。

「祖母は公務員と結婚してほしかったそうです。当時は高度成長期でしたが、建設会社は景気に左右される。『不安定な仕事をしている人に娘はやれない』とのことでした。何度も認めてくれるようお願いしましたが、『公務員になれば許す』の一点張り。意志は固かったようです」

「諦めきれない父は会社を辞め、郵便局員になりました。当時の公務員になったのです。祖母は結婚を諦めさせたくて言っただけ。本当になるなんてと、面食らったそうです。父はまじめで穏やかな性格。そんなエネルギッシュな一面があるとは意外でした」

――苦労を乗り越え、幸せな家庭生活が始まります。

「ところが、父は手紙や郵便物がきちんと送られているかなどを調べる郵政監察官になるため、東京の研修所へ行きました。それも1年間。私が5歳の頃でした。『地方の郵便局員で終わりたくない』と挑戦したみたいです」

「そして私が小学4年生の時、長野県へ配属になりました。家を建ててわずか5年。当初、父は単身赴任をする予定でしたが、姉が家族全員で移ることを提案しました。一軒家から2Kの官舎へ。せっかくのマイホームを手放すことになり、母はしょげていました」

――一方、ご自身も挑戦の連続でした。

「キャスターとしてデビューしたのは大学3年のとき。当時は天安門事件やベルリンの壁崩壊など、世界情勢が刻々と動く時代でした。歴史的な瞬間をこの目で見たいと、テレビの世界へ飛び込みました。報道だけでなく、バラエティーにも挑戦し、幅は広がりました」

「母はキャスターになることに反対しましたが、父は認めてくれました。何でもやらせてくれるのは、父自身がそうしてきたからです。悩みごとがあると、電話で『一生懸命、誠実に頑張ればいい』と一言。父の過去を振り返れば、説得力のある言葉でした」

――これからの目標は。

「7年前、新潟市内にある事業創造大学院大学の客員教授になりました。専門分野は地方創生。地方経済の活性化などについて研究しています。これからはもっと、地方を元気にする取り組みに貢献できればと考えています」

「どんなときでも、父から受け継いだチャレンジ精神を常に持ちたい。これまでの経験をもとに、自分にできることは何か、自分にしかできないことは何か。自問しながら挑戦していきたいです」

[日本経済新聞夕刊2017年8月15日付]

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