「大ぼら吹き」が頼れる男に アサヒ平野氏の現場力
アサヒビール社長の平野伸一氏
アサヒビール社長の平野伸一氏
「社長になるために入社したに決まっているじゃありませんか」――。40年前、入社した年の夏のこと。アサヒビール社長、平野伸一(61)は得意先に「なんでアサヒになんか入ったんだ」と問われ、思わずこんな大法螺(ぼら)を吹いた。しかし、その法螺は事実に変わる。今や平野は堂々たるアサヒビールの社長。「安売り規制強化」という、この夏最大の台風に抗いながら必死に前に進もうとしている。
倒産寸前の「夕日ビール」に入社
平野が入社した1979年、ビール市場でトップのキリンビールのシェアが63.5%だったのに対しアサヒのシェアは10.6%。倒産寸前の「夕日ビール」に入った平野に「なんでアサヒに」と得意先が聞いてくるのも無理もなかった。
「他にいくところがなかった」わけではない。早大教育学部時代、主将を務めた日本拳法部では練習漬けの毎日で、成績は決してトップではなかった。しかし、体育会系の平野を欲しいという会社はいくつもあった。身長180センチで今は100キロある体重も半分より少し多い程度。押し出しのいい面構えが加わり「そんな傾きかけた会社に入るのをやめてうちに来い」という会社はわんさかあった。
それでも「まさか東証1部の会社が倒産することもあるまい」とそのままアサヒに入社したのだが、実態は驚くべきものだった。工場研修と称して草むしり、発酵タンクの清掃……。まともではなかった。夏が目前に迫っても工場は動かなかった。
仕事もないのに新人を採用するとは
「売れないビールをつくっても仕方がない」。工場で研修する平野たちの背中に「仕事がないのに新人なんか採用して」と先輩社員たちの言葉が突き刺さった。
ようやく研修を終え、平野が営業現場に出してもらえた時には夏も終わりかけていた。東京支社西営業所(東京・杉並)に配属されて得意先をまわりながら、平野は精いっぱい気丈に振る舞った。「社長になるためにアサヒに入った」というのも鬱屈した毎日を何とか吹き飛ばしたいとの思いからでた言葉だった。