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チェリスト伊藤悠貴 世界トップの演奏術

2017/7/29

著名な2つの国際コンクールで優勝した若手チェリストの筆頭格、伊藤悠貴さん(28)が11月に2枚目のCDアルバムを出す。CD収録の超絶技巧の作品を含むリサイタルも繰り広げている。英国でデビューし、国際的に活躍するチェリストに世界トップの演奏術について聞いた。

超絶技巧のアクロバットに濃厚なロマン

動画を早送りしているかのようなとてつもなく速い指と弓の動きだ。伊藤さんが演奏したのはユダヤ系チェコ人のチェリスト兼作曲家ダーヴィト・ポッパー(1843~1913年)の「ハンガリー狂詩曲 作品68」。「聴くだけでなく見てもド派手な曲。チェロを知り尽くした人が書いた曲なので、練習すればしっかり弾けるようになる」と伊藤さんは話す。超絶技巧の連続だが、アクロバットに目を奪われるだけではない。途中でブラームスの「ハンガリー舞曲第3番」によく似た楽想が飛び出すなど、ツィゴイネル音楽のロマンも濃厚に漂う。

大好きな後期ロマン派の作曲家たちについて熱弁を振るうチェリストの伊藤悠貴さん。聞き手は池上輝彦(7月20日、東京都大田区)

「ザ・ロマンティック」。その名の通り、様々な作曲家のロマンチックな小品を集めたのが伊藤さんのセカンドアルバムだ。ソニー・ミュージックダイレクトの企画制作で11月15日に出る。すでにレコーディングを終え、ポッパーの「ハンガリー狂詩曲」も収めた。「後期ロマン派の曲が大好きで、チェリストとしての僕の音楽活動の中核を占める」と伊藤さんは言う。後期ロマン派とは19世紀末から20世紀初頭の成熟した欧州市民社会で花開いた過剰なほどロマンチックな音楽。彼が最も好むラフマニノフをはじめ、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、スクリャービンらの本来はチェロの曲でない作品も、伊藤さんが編曲し録音している。

15歳で英国に渡り、チェリスト兼指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏(1927~2007年)の弟子だった名チェリストのダヴィド・ゲリンガス氏に師事した。21歳の2010年にはオーストリアのブラームス国際コンクールで優勝。2011年には英国の最高峰ウィンザー祝祭国際弦楽コンクールに日本人として初めて優勝した。世界一の実力を持つ若手チェリストとして、英国を拠点に国際的な音楽活動を始めた。2015年に王立音楽大学を首席で卒業した頃から日本での演奏活動にも本格的に乗り出した。

7月15日、大田区民ホール・アプリコ小ホール(東京・大田)で開かれた「伊藤悠貴チェロ・リサイタル」。世界トップと呼ぶほかない華麗な経歴を持つ注目の若手にしては小さすぎる会場だったが、熱心なファンが詰めかけてほぼ満席だった。日本でも伊藤さんを高く評価する専門家は多い。サントリーホール館長で自らも日本を代表するチェリストの一人である堤剛氏は早くから「彼は本当に素晴らしい」とその才能に太鼓判を押していた。だが海外生活が長かったせいか、伊藤さんの実力はまだ日本では意外なほど知られていないようだ。

大好きな後期ロマン派の作品で本領発揮

15日のリサイタルではまずJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010」を一点の曇りもないような正確さで弾き切った。舞踊の音楽の本質を示すようなリズミカルな演奏で、ステージ上で彼もダンスを楽しんでいる風情だった。そこに人生観を映し出す深みや哲学的な深遠さを求めるには、まだ若々しいということだろう。

超絶技巧が連続するダーヴィト・ポッパー作曲「ハンガリー狂詩曲」を弾くチェリストの伊藤悠貴さん(右)。ピアノは山田磨依さん(7月20日、東京都大田区)

彼の本領が発揮されたのは、次の英国の作曲家フランク・ブリッジ(1879~1941年)の「チェロソナタ」からだった。ピアノ共演は入江一雄氏。この作品は1910年代に書かれたが、濃厚なロマンチシズムと叙情性、感情の高まりが随所に聴ける後期ロマン派の典型ともいえる音楽だ。この曲に至って彼の演奏シーンは様変わりした。うっとりするような美しい旋律を響かせるときの弓の大きな動かし方、叙情の波間に浮かぶ陶酔の表情など、曲の感情の起伏をステージ上で演じている。「感情の渦みたいな曲。ブリッジは日本でほとんど知られていないが、もっと聴かれるべきだ」と薦める。

「後期ロマン派の曲は、彼らの作品にどれだけ自分の魂を入れ込んで、発信できるかで演奏の成否が決まる」と伊藤さんは言う。自分が弾く音楽に溺れるように入り込み、「自分の思いや考えをそのまま音として出していく」必要があるのだ。この日のリサイタルではラフマニノフの「ヴォカリーズ」や、伊藤さん自身が編曲したこの作曲家の「夜のしじま」という曲でも、思い入れたっぷりの叙情あふれる演奏が聴けた。「後期ロマン派の作品というのは自分がどう歌いたいかが音としてストレートに出る。そうした自分の芸術性をお客さんとどれだけシェアできるかが大事」とリサイタルのあり方を指摘する。

彼の後期ロマン派への傾倒ぶりを顕著に示すのが、2012年に出したデビューCD「ラフマニノフ チェロ作品全集」だ。CD1枚にラフマニノフのチェロ作品が全曲収まってしまうのだが、「チェロのためのラフマニノフの作品集は世界中を見渡しても3~4枚しかないはず。我ながら貴重な作品集だと思う」と胸を張る。「世界で一番好きな作曲家は誰かと尋ねられたら、1秒も考えずに『ラフマニノフ』と返事をする」と言うほどで、欧州でも特にラフマニノフ作品の演奏で高い評価を受けている。ピアニストでもあったラフマニノフの代表作といえば「ピアノ協奏曲第2番」などピアノ作品が挙がりがちだが、「大好きな作曲家なので、チェロの曲でなくても自分で編曲して弾いてしまう」と話す。

ラフマニノフ作品を軸にチェロ曲を網羅する勢い

2枚目のCD「ザ・ロマンティック」には「親友に頼んで書いてもらった曲が入っている」と言う。王立音楽大学の1年先輩のジェイムズ・リル氏が作曲し伊藤さんに贈った「記憶」というチェロとピアノのための作品。2011年に作曲された。2人は「大学時代に互いにラフマニノフが好きだと分かって意気投合した」という仲だ。新しいCDではダニエル・キング=スミス氏がピアノ伴奏をしているが、この曲だけはリル氏が来日して録音した。

ポッパー「ハンガリー狂詩曲」を弾くチェリストの伊藤悠貴さん(右)とピアニストの山田磨依さん(7月20日、東京都大田区)

リル氏は現代の作曲家であるわけだが、その作風は決していわゆる「現代音楽」ではないようだ。「彼の作品はチャイコフスキーやラフマニノフの影響が強く、恐ろしくロマンチックなので、僕の『ザ・ロマンティック』に入れるのに全く問題ない。そのCDの中でも1~2位を争うほどロマンチックな曲だ」。インタビューの間に何度も「ロマンチック」という言葉がこれでもかと繰り返されるほどに、伊藤さん自身が「現代のロマン派」なのであり、そこに彼のチェリストとしての希少な個性と魅力がある。

同時に彼は指揮者でもある。チェリスト兼指揮者といえばかつてはロストロポーヴィチ氏が有名だった。その弟子で伊藤さんの師匠のゲリンガス氏も指揮をする。「チェロを弾くのにも役立つとゲリンガス先生に勧められた」。チェロ独奏が入る曲でチェロを弾きながら指揮をしたり、交響曲や管弦楽曲で指揮に専念したり、柔軟に対応できる。2016年には日本とアフリカのアンゴラとの外交関係樹立40周年記念として、アンゴラのカポソカ音楽学院オーケストラの日本ツアーを指揮した。「指揮をすれば、自分の演奏をより客観的に見ることができる」と話し、今後は指揮者としての活躍も誓う。

チェロによる音楽の可能性を語る伊藤悠貴さん(7月20日、東京都大田区)

アンゴラのオーケストラとの日本ツアーを含め伊藤さんと共演を重ねるピアニストの山田磨依さんは「彼は天才的だなといつも思う。幅広い表現だったり、いろんな面があって音楽性が豊かだったり、共演していつもハッとさせられる」と話す。今回の映像では2人でポッパーの「ハンガリー狂詩曲」を練習する様子を捉えている。「彼のチェロ演奏は行くべきところでは本当に行くし、美しい弱音で朗々と旋律を歌わせることもできる。様々な面があるので、伴奏しているとジェットコースターに乗っているような驚きがある」と山田さんはピアノでの共演者の立場から評する。

伊藤さんは幼い頃から自分を表現するのが好きだった。「俳優を志望したこともある」。公演のステージ上で見せる大胆なポーズや演技も光る。シェークスピアを生んだ演劇の国・英国で学んだ経験が生きる。「演奏家とミュージカルや舞台で演技する俳優は通じるところがある。演技と演奏を合わせて考えるのは普通のこと。言葉でお客さんとつながることも大事と考えるので、演奏会ではよくトークもする」と言う。

「音楽家は成長が止まるときがない。70歳や80歳になっても新しく気づくことはたくさんある」。個性の光るチェリスト兼指揮者としていかに自分を成長させ続けていくか。「ほかの演奏家やチェリストたちがやらないことにしっかり取り組むべきだという使命感を抱いている」。ラフマニノフの作品を軸に置きつつ、チェロのために書かれた作品を全部網羅していく勢いだ。現代作曲家に委嘱しての新作初演や、古典作品を自らチェロ向けに編曲しての演奏にも挑む。最高峰に見えた地点をさらに突き抜ける一方で、世界の低い深みに踏み込む勇気も備わっていくはずだ。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)

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