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私の履歴書復刻版

東芝にチャレンジ経営導入、原点は対話 第4代経団連会長 土光敏夫(26)

2017/8/10

 清貧ぶりと無私の姿勢で「メザシの土光さん」と慕われ、1980年代の行政改革の先頭に立った土光敏夫氏(どこう・としお、1896-1988)の「私の履歴書復刻版」。東芝の社長に就任した土光氏は「チャレンジ・レスポンス経営」を導入します。最近の不適切会計問題や経営危機で問題になった東芝のチャレンジ制度。そもそもの始まりは、経営層と現場との対話、ディスカッションを促す仕組みでした。

■チャレンジ経営――自らセールスの先頭に 工場・営業所回り、社員と対話

 東芝へ来て、まず私が手をつけたことは、機構改革のほかに、全工場、支社、営業所などの訪問である。東芝には、そのころ全国に30をこえる工場や営業所があった。6万3000人、全従業員の顔と名前はとうてい覚えきれないが、こんど来た社長の土光という人間は、どんな人間か、それぐらいは覚えてもらい、さらに各工場の問題点を把握しておこうと思ったからだ。

 この工場、営業所めぐりは、本社での仕事の合間をぬって果たしたので、ほとんど夜行で出かけ、夜行で帰るトンボ返りが多かった。70歳になってはいたが、幸い健康には恵まれ、それほど負担ではなかった。むしろ、上から下まで、全従業員と話し合う楽しみがあった。この工場めぐりではじめて知ったのだが東京に近い川崎ですら、今まで一度も社長が来たことがないという工場があったのには驚いた。彼らは「私をオヤジ、オヤジ」と呼んで歓迎してくれ、のちには、私の自宅(川崎に近い鶴見にある)に遊びに来る者もあった。

工場視察中の筆者(中央)

 社長が雲の上の人であってはいかん――私は、ざっくばらんが好きだから、努力してもそのような存在にはなりようがないが、社長室のドアをつねに開けていた。そうして、会議は8時半からということにして、7時半から8時半までは、話をしに来る社員のために開けた。はじめのうちは、みんな遠慮していたが、半年もたつととても1時間では足りなくなった。むろん、その他の時間でも、大歓迎した。

 こうした活気は、先述した「チャレンジ・レスポンス経営」の成果であろう。このことばは、イギリスの歴史家、トインビーの著書を読んでいて発見した。しかし、チャレンジは、日本語では挑戦などと訳すが、もう少し違うニュアンスなのである。「参加を促す議論、呼びかけ」、あるいは「説明の要求」というようなことである。

 事業部に全面的に仕事を任せはしたが、彼らが目標を達成出来なかったとき、「チャレンジ」する。

 自分たちで決めたことがなぜ出来なかったのか。その説明を要求し、議論を呼びかける。そこで、相手はすばやくレスポンス(こたえ)しなければならない。チャレンジとレスポンスの中で、活発なバイタリティーと相互の信頼関係が生まれる。チャレンジ・レスポンスは、なにも私と事業部間だけのことではない。分担役員と事業部長との間、また事業部長と部員との間でもそうである。

 だいたい私は、会社の組織図は、社長をいちばん上に、次に役員、部長、課長と下に書いてあるが、あれはいけないと思う。会社の組織は、本来、太陽系みたいなもので、太陽を中心に、いろいろの惑星が自転しながら軌道を描いて回っているべきだ。仕事の上では、社長も社員も同格なのである。その同格という意識を持つには、ディスカッションするのがいちばんいい。「チャレンジ・レスポンス」は、そのディスカッションシステムでもある。

 仕事の上では、社長も社員も同格ということを実行して、面白い“事件”を経験した。ある取引で相手の会社の課長が外出がちで、なかなかつかまらない。その報告を受け、それでは、私が担当員に代わってその課長の所に行き、彼が帰社してくるまで、いつまでも待ってやろう、と気軽にその会社に出かけた。相手はこちらの品物を買ってくれる顧客である。私は課長席の横で、いつまでも待った。彼が帰社して来た。

 彼は私を認めて、とび上がった。「わざわざ社長がいらっしゃらなくても……」

 その取引は、2、30万円のものだった。これくらいの値段のものを、わざわざ社長が売り込みにくるとは思わなかったらしい。彼は恐縮して、「次回からも是非、東芝の製品を購入しますが、それには条件がある。社長自らは絶対に来ないこと」というのであった。

 東芝が、はじめて本格的にエレベーターを製造し始めたとき、私は西武百貨店の堤清二氏に会って、直接これを売り込んだ。社員と同格なのだから、社長がセールスマンになるのは、当たり前のことである。このような私の行動を「土光突撃体制」などと、世間では呼んだようだが、私の“社長セールス”は石川島時代からやっていたことだ。しかも、突然、秘書から、「きょうは何々会社の社長に会って、何々のセールスをやって下さい、スケジュールは組んであります」と言われ、のこのこ出かけるわけである。このような事態は、部下からのチャレンジなのだから、私は黙ってレスポンスするのである。

 この連載は、昭和57年(1982年)1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および「私の履歴書 経済人 第20巻」(日本経済新聞出版社)の「土光敏夫」の章を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2012年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

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