ライフコラム

立川談笑、らくご「虎の穴」

生きた証し、遺影屋さんが説く よみがえった祖父 立川吉笑

2017/7/30

PIXTA

 毎週日曜更新、談笑一門でのまくら投げ。今週のお題は「写真」ということで、暑過ぎて夢か現(うつつ)か、何が何だか分からないぼんやりした頭で、今週も次の師匠まで無事にまくらを届けたい。

 人見(ひとみ)くんが転校してきたのは中学2年の夏だった。

高座に上がる立川吉笑さん(東京都武蔵野市)

 新学期になって意気揚々と登校すると、僕の席の前にピカピカの机が置いてあって、それは人見くんの物だった。

 僕は人羅(ひとら)という名字なので、出席番号順に座ると人見くんの席が僕の前になるのは当然のことだった。

 人羅も人見も珍しい名字だったから、それだけですぐに意気投合した。後に人見くんが人見知りだと知ったけど、なぜか僕とはすぐに打ち解けられたみたいだった。

 「人見くんのお父さんはどんな仕事をやってるの?」

 と聞くと、

 「家屋」

 と返ってきた。

 あまり聞き馴染みない「いえや」という職業を、建築士と解釈した僕は

 「へぇー、大工さんなの?」

 と聞いた。

 すると人見くんは、

 「いえや、じゃなくて、いえいや」

 と言った。

 いえいや。人見くんのお父さんは遺影屋さんだったのだ。

 遺影屋と聞いて僕はすぐに、遺影用の写真を撮影するカメラマン的な仕事を想像したけど、実際はそうじゃなくて、店内で様々な方の遺影を販売するという、文字どおりの遺影屋さんだった。

 恥ずかしながら僕は遺影屋さんという商売があるのをそのとき、初めて知った。

 遺影自体は家の仏間とかおばあちゃんの家に飾ってある物を見たことはあったけど、まさかそんな遺影がお店で普通に売られているとは思ってもいなかった。

 正直に、僕は遺影屋という仕事を初めて知ったと伝えたら、人見くんが、少しだけ寄っていかないかと誘ってくれた。

 初めて足を踏み入れた遺影屋は、僕が思っている以上に遺影が置かれていた。

 自動ドアが開くと同時に目の前に広がる遺影・遺影・遺影。

 左も右も壁一面、隙間なく遺影で埋め尽くされている。4メートルはあろうかという高い天井まで、床からビッシリと遺影が並べられている。正面にはレンタルビデオ屋にあるような棚が3列分、店の奥までズラーっと続いていて、それぞれの面に遺影がビッシリ並べられていた。

 レンタルビデオ屋みたいに、背表紙が見えるように並べてあるんじゃなくて、パッケージというか、写真全面が見えるように並べられていた。その並べ方をどうやら遺影屋業界では面陳(めんちん)と呼ぶらしい。

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