巻き込み力は働く両親から パソナテック粟生取締役

日経DUAL

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IT(情報技術)・ものづくり分野のエンジニア専門の人材派遣・転職・育成に力を入れるパソナテック。同社で女性初の執行役員として抜てきされたのが、粟生万琴さんです。

自身の出産を機に在宅ワークや業務委託専門のクラウドソーシングサービス「Job-Hub」の開発に取り組み、社内ベンチャー事業を立ち上げたという粟生さん。小学校3年生の息子さんを名古屋の自宅で育てながら、週の半分は東京で過ごし、自身もリモートワーク(テレワーク)を駆使した二拠点生活を送っています。2016年には新たにAI(人工知能)を使ったベンチャービジネスを立ち上げ、現在2つの会社で取締役を兼務しています。

「みんなに支えられ、人のご縁でここまできました」とにっこりほほ笑む粟生さんは、まさに「巻き込み上手な人」。周囲を信頼し、その求心力と行動力で次々と夢を叶えてきた粟生さんの基盤を作ったのは、粟生さんが幼いころから働く両親の姿でした。

パソナテック取締役、エクサインテリジェンス取締役COO 粟生万琴(あおうまこと)さん

2つの会社の取締役×2都市のパラレルワーク

――つい昨日まで、インドへ出張に行かれていたそうですね。2つの会社の取締役を務め、住まいの拠点を2つ持ちながらの子育ては、心身ともにハードな場面もあるかと思いますが、それを感じさせない明るい笑顔が印象的です。その出張は、どちらの会社での仕事だったんですか。

今回は、AIのベンチャー企業であるエクサインテリジェンスの仕事ですね。DeNA元会長の春田真と共に2016年に立ち上げた会社です。なので、普段は、エクサインテリジェンスの取締役とパソナテックの取締役を兼務しています。社外での取締役はパソナグループでも初の事例で。春田との縁があったことも大きいですが、プログラミングの次の展開として、AI、人工知能やロボットを使った産業を育てたいという思いに、パソナグループ創業者の南部が共感してくれて。「新しい未来を作ることにチャレンジしてみなさい」と後押ししてくれたことが大きかったです。

――新しい事業への取り組みを応援してくれる環境があったのですね。粟生さんは、パソナテックで「Job-Hub」というクラウドソーシングを活用した新しい働き方を推進するプラットフォームの開発もしています。

自分が出産して、働き方への意識も変わり、在宅勤務やテレワークの必要性を強く感じました。やりたい事業を形にしようと、社内ベンチャーとして手を挙げたのが6年前です。今でも私はこの事業に携わっていて、6年も新規事業に携わっているなんて!と周りからは驚かれています。

たくさんの人に育ててもらうのがいい

――ご自身も、家族が住んでいる名古屋と、東京を行き来するパラレルワークを実践していますよね。どのような毎日を送っているのでしょう。

週の半分は名古屋を拠点に、中部・関西エリアのお客様とお仕事をし、残りは東京オフィス、主に経営会議に出席するという生活ですね。これを1年続けています。

――出張中の家事や育児は、夫婦でどんな連携をしていますか?

夫が今は名古屋に暮らしているので、私が名古屋にいない間、基本は小学3年の息子と2人で過ごしてもらっています。あと、心強いのは、シッターサービスだけではなく勉強も見てもらえる、「ナニーサービス」を受けているんです。パソナグループの福利厚生の一つなのですが、息子が4歳くらいのときからお世話になっているナニーさんに、習い事への送迎と宿題と食事までをお願いしています。ナニーさんには頼りっきりで! 息子がナニーさんのお宅へ遊びに行かせてもらうときもあるし、子どもにとっては「自分の家が2つある」感覚のようです。

――家族以外の人を、自分の不在時に家に入れるのをちゅうちょする人もいます。粟生さんはいかがでしたか。

全くありませんでした! 私は他人が家にいることに全く抵抗がないんです。たくさんの人に育ててもらうのがむしろ子どもにとっていいと思ってて。私も子どものときに、保育園帰りは必ずお友達の家に寄ってから、夕方に母が迎えに来る、という「2つの家生活」を送ってましたから。

保育園時代は、「2つの家」を行き来していた

――粟生さんが保育園時代に、「2つの家生活」を送っていたのはどういった経緯からなのですか。

私が3歳のときに、母の職場に近い保育園に転園したんです。母は事務職についていて、残業はそれほどなかったけれど帰りは18時ごろになる。それで、一足先に園の近くに住むお友達の家に一緒に帰らせてもらって、そこでおやつをいただいたりしていました。

――お母様は、ずっと仕事をしていたんですか。

いえいえ、元々は専業主婦だったんです。でも、私が3歳のときに父が脱サラして祖父の事業を継ぐことになって。「専業主婦になりたいからサラリーマンと結婚したのに、パパが会社をやめちゃって大変!」って言っていたのを覚えています。それで自分も働きに行かないと、と親戚の人に紹介してもらって、自分の仕事や私の保育園を見つけてきたようです。

おんぶしてもらった母の背中が、甘い思い出

――幼い粟生さん自身にも、環境の変化があって大変だったと思います。

そうですね、引っ越しもあったので、生活環境が急に変わったなという記憶はあります。でも取り立ててそれが嫌だったというわけじゃなかったんです。お友達の家に行くのも楽しかったし、母が迎えに来てくれて一緒に帰るのも楽しかったんですよね。

――二人で夜道を帰りながら、お話をしたり?

ええ、たくさんしました。自宅は少し離れた駅にあったので、電車に乗って帰るんです。ほんの10分くらいですけど近鉄電車に乗っていると、知らないおじさんとかおばさんとかが、話しかけてくれるんですよ。夜に電車に乗る子どもが珍しいからアメちゃんとかくれて。それに、駅までの道で母にも「ジュース買って」っておねだりしたり、おんぶをしてもらって甘えたりするのも、すごくうれしくて。でも、ついこの間、母に「あのころ、毎日万琴におんぶしてって言われて、しんどかったけど、普段預けているのだし、しょうがないなっておんぶしてたのよ」と言われました。

保育園とお友達の家で過ごした保育園時代。フルタイムで働いていた母との電車での帰宅時間は、たっぷり甘えられた母子のよき思い出に

母は私のために、保育園の後で過ごすお友達のご家庭と良い関係を築いてくれていたり、日ごろから私の気持ちを尊重しながら見守ってくれたりしていました。母は私を本当にかわいがってくれたと思います。だから寂しくなかった。働いて稼いだお金で、たくさん洋服を買ってくれたり、家の食卓でいつも社内のゴシップを話してくれたりして面白かったです。母が働いていたことで嫌な思いをした記憶は、全くないですね。

「仕事は続けなさい」と母からアドバイス

――そんなお母様から、粟生さんはユニークな人生訓を受けていたとか。

そうなんですよ。母は自分が専業主婦志望だったので、「いい夫を早く見つけて結婚して、専業主婦になりなさい」ということはいつも言ってました。でも一方で、「仕事は続けたほうがいい」ということも言っていて。どっちなんだ! という感じですけど。

――お母さんは何歳ごろまで仕事をしていたのでしょうか。

私が大学2年生のときに体を壊したのもあって、55歳で辞めたんですが、それまで同じ会社で働き続けていましたね。結局、人生何が起こるか分からないから、働き続ける選択肢はあったほうがいい、ということでしょうね。あともう一つの教訓は、「異性の友達を多くつくりなさい」というものでした。

――「異性の友達」とは具体的なアドバイスですね。それはどうしてですか?

女性の友人は結婚したら、夫の転勤で引っ越したり、経済状況も変わったりして、離れ離れになりやすいけど、男性は基本的に働いているし、困っているときに身近にいて助けてくれるはずだから、男性の友人を増やせば?って。私が住んでいる中部地方は、比較的保守的な環境だったんです。当時の時代もありますが……どんな母親だ、と思いますよね。

――斬新です。でも、当時の環境を背景に、親として娘に伝えたい真っすぐなアドバイスですね。

私が理系の道に進んだということもありますが、結果的には男性の友人が増えました。そして、その同級生・先輩たちに助けられて仕事のご縁ができたりということもありましたから、母のアドバイスはあながち間違ってなかったな、と思います。

大勢の大人たちに見守られて育った体験が宝

――お父様は、祖父の事業を継がれたということで、ご実家は代々事業を営んでいたのですよね。

そうです。祖父が実は結構いろんな事業をしている事業家で。当時は3つくらい事業を行っていました。 

会社員を経て、経営者となった父との一枚

――小学校時代は、放課後をお父様の仕事場で過ごしたりということもあったのでしょうか。

少しずつですけれど私が中学校に上がるころには、父の事業が割と大きくなって。小学校の夏休みには、私の預け先が見つからなかったらしく、仕事場に連れて行ってもらったこともありましたね。何をしていたのかあまり覚えてないですけど、多分、職場の方にお茶を入れたりしていました。

中学のときは職場の方が親の代わりに駅まで迎えに来てくれたこともあったし、たくさん業者の人が訪ねてきたりということがしょっちゅうありました。祖母も一緒に暮らしていたし、常にいろんな大人が出入りする家で、楽しかった。それもあって、今、自宅にナニーさんを呼んで、家事や育児を任せるのに抵抗がないのかもしれませんね。

――様々な大人に囲まれて育った環境が、粟生さん自身の子育て観に結びついていったのですね。

3世代前からの教えに共感

実は、つい先日、父が倒れてしまって。入院中にいろんな話をしてくれました。うちの家訓を話しておくって言って。そのときに、祖父の事業の話なんかも色々聞いたんです。

――それが粟生さんのキャリア展望の中にも刻まれていた、ということでしょうか。

やっぱり新しいことをする、ということについては、受け継いでいるんだな、と思いましたね。「他の誰かができていることは、努力すれば必ずできる」というのが3世代くらい前からの教えだって父に聞いて。そのとき「あ、分かるな」って思ったんです。

もちろん、向き不向きとか得意不得意とかあると思いますけど、それを超えて、「同じ人間だから、やろうと思ったことはできるはず」「何事もやってみないとできない」という考えのベースは、そこにあるのかと思いましたね。

周りに支えてもらい、新しい道を模索してきた

――粟生さんは、新しい事業を立ち上げたり、2拠点で2つの会社の取締役をしながら子育てをしたり、と、常に新しい道を切り開いています。

でも、私一人じゃ何もできないんですよ。周りの人に支えてもらって生きてきてるので。最初から人に支えてもらうのが前提で、やりたいと思うことを口にしていると助けてくれる方が出てきてくれるんです。

「人にお願いして申し訳ない」という感覚はあまりなくて。どんどんお願いします。でも、実際にお願いされてNOという人はあまりいないですよね。

――巻き込み上手ですね。でも、粟生さんにお願いされたら、力を貸したくなる……やりたいと思っていることにブレがなく、未来への具体的なビジョンへつながっているからでしょうか。

幼いころから父によく言われていたのが、「人と違うことをしなさい」ということでした。その教えもあって、これまでのキャリアを選んできた結果、今にたどり着いていたということかもしれないです。

粟生万琴
SEとしてソフトウェア開発に従事した後、2003年パソナテックに入社。中部エリアの立ち上げ責任者として3年連続MVPを受賞。2012年初の女性執行役員に。社内新規事業としてクラウドソーシングサービス「Job-Hub」の立ち上げに関わる。パソナテックの重役を務めながら、DeNA元会長の春田真氏らと共に、AIベンチャーであるエクサインテリジェンスを創業。取締役COOとして、二足のわらじを履く。三重県出身。小学三年生の男の子の母。

[日経DUAL 2017年6月15日付記事を再構成]