魚住りえさん 母のピアノ特訓、朗読に生きる
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの魚住りえさんだ。
――お父さんは脳神経外科の医師。家庭ではどんな父親でしたか。
「とにかく厳しかったですね。脳の手術は1ミリ間違えると失敗。人の生死に立ち会う職業です。いつも神経がいらだっている感じで、逆鱗(げきりん)に触れないようにしていました。性格は慎重でまじめ。何しろ、『横断歩道は真ん中を渡らないといけない』と言い、信号が点滅したら、決して渡りませんから」
「その一方で、自由な考え方をする人でもあります。私と姉、兄の3人の子どもたちには、『好きな道へ進みなさい』と言っていました。本人は政治家になりたかったが、代々医師の家系なので、医者になったという事情もあるのでしょう」
――魚住さんは、ずっとピアノを勉強してたんですね。
「3歳から16歳まで。ピアノ教師の母が横で付きっきりでレッスンをしました。毎日がピアノ漬けです。正直、つらかった。私は手も小さいし、才能がない。母はピアニストになるのをあきらめ、娘に夢を託した。でも、いくら努力しても報われないのでは続けられない。私がピアノをやめたときは残念がっていましたね」
――NHK杯全国高校放送コンテストで入賞したのが、アナウンサーになるきっかけになった。
「朗読部門で約5000人中、3位になりました。国語の時間に立って教科書を読むのが好きで、『自分には声で表現するのが向いている』と思い、高校では放送部に入ったのです。マイクを持って話したり読んだりするのが楽しい。ピアノで挫折したときだったので、コンテストで賞をもらったことで、自分の居場所ができたと思いました」
「大学に進み、アナウンサーを目指して就職活動をしました。アナウンス学校にも行かずに試験を受けたのですが、合格することができました。採用されたのは『読むのがうまく、即戦力になるから』と言われ、うれしかったのを覚えています。母も喜んでくれました」
――現在はアナウンス技術を生かし、相手に響く話し方を教えていますね。
「『ボイスデザイナー』と名乗っています。声の色つや、話し方などを型にはめるのではなく、その人に合う表現の仕方を身につけてもらう。実は、スピード、高低、間など読むことと音楽を演奏することは同じ。私はナレーションの原稿を見ると、全部音符に見えるんですよ。ものにならなかったピアノですが、母からの厳しいレッスンを受けたことが、朗読の技術につながっている」
「父にも感謝しています。政治家志望だっただけに、スピーチが上手で、声で聴衆のハートをつかむ。そんな資質も受け継いでいるのかなと感じます」
[日本経済新聞夕刊2017年7月25日付]
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