「女性」が彩る東京オリパラ 4人のアスリートの軌跡ソフトボール/パラ陸上/パラバドミントン/車いすラグビー

五輪と同様にパラリンピックでも女子選手の参加が増えている。1996年アトランタ大会では、19競技508種目で選手総数3259人のうち、女性は24%に相当する790人だった。昨年のリオデジャネイロ大会では22競技528種目で4328人中1671人と20年で倍増し、4割を占めるまでになった。

東京大会の22競技の実施種目は9月3、4日にアラブ首長国連邦(UAE)で開かれる国際パラリンピック委員会(IPC)の理事会で決まる。IPCのスペンス広報部長によると、(1)女性の参加を増やす(2)重い障害を負った選手の参加を増やす――の2つの原則に従って審議するといい、さらに女性の参加は増えそうだ。

パラ陸上走り幅跳び・前川楓さん

元五輪代表との出会い、記録が急伸

「運命だと思いました」。パラ陸上女子走り幅跳び(切断などT42)の前川楓さん(19、チームKAITEKI)がそう振り返る出会いがあったのは今年2月のこと。現役時代に「イケクミ」の愛称で知られた、北京五輪出場の女子走り幅跳び日本記録保持者、井村(旧姓池田)久美子さんの指導を受け始めたのだ。

大会ごとに記録を更新。5月には今季世界ランク2位の3メートル97を跳んだ。「すごいうれしい」と声を弾ませる

昨年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは3メートル68の日本新を出して4位。だが表彰台には24センチも足りない。100メートルも7位で、3位との差は1秒以上あった。「自己ベストを出しても戦えない。このままじゃだめと思った」

通っていた愛知県の短大の退学を決心、より良い練習環境を求めて上京を検討していた時だ。地元三重県で井村さんが夫の俊雄さんとともに開く陸上教室があることを偶然知り、飛び込んだ。ここから記録が飛躍的に伸びていく。

5月に3メートル97を跳び、日本記録を大幅に更新。今季世界ランク2位のジャンプだった。100メートルも今月、初めて16秒台を出し、アジア新と日本新を打ち立てた。

井村夫妻は踏み切り時の欠点をすぐ見抜いた。「最後の1歩がすごく大きくて損しているので、もっと手前につくように、と」(前川)。体幹トレーニングも教えてもらい、上下動が少なくなって助走が安定した。中学3年時の交通事故で義足となった右足にも力が伝わり板バネが大きくたわむようになったため、硬いものに替えたほどだ。

大会ごとの記録更新に「すごいうれしい」と声を弾ませる。これまでパラスポーツの殻に閉じこもっていた選手が、健常者種目のコーチの指導を仰いで急成長。そんな世界のトレンドから遅れていた日本も、ようやく障害者と健常者の垣根が崩れてきた。前川さんもその波に乗る。

今の練習は走ることが主眼で、跳躍技術には手をつけていない。「東京に向けての調整なので、今は助走をどう固めるか。コーチから技術は来年にしようと言われている」。伸びしろは計り知れない。

パラバドミントン・豊田まみ子さん

右腕1本からキレのあるスマッシュ

東京パラリンピックで初めて正式競技になるバドミントン。車いすや義足の選手がコート内を自由自在に動き、シャトルを追いかける。SU5(上肢障害)クラスで世界ランキング3位につける豊田まみ子さん(25、ヨネックス)は「3年後に向けて、もっともっと多くの人に競技を知ってほしい」と声を弾ませる。

生まれつき、左腕の肘下がない。サーブを打つ時は肘にシャトルを乗せる。

生まれつき、左腕の肘下がない。サーブを打つ時は肘にシャトルを乗せる。右腕1本から放たれるキレのあるスマッシュと、それを生かす攻めのプレーが持ち味だ。2013年の世界選手権で初優勝すると安定した成績を納め続け、今季も6月にタイで行われた国際大会で2位に入った。

10歳でバドミントンを始めた。中学卒業後は強豪の福岡・精華女子高に進んだが、2年のときに顧問にパラ大会の出場を勧められた。「レベルが劣るのでは」と初めは乗り気でなかったが、会場に足を運ぶとその考えはすぐに一新された。「一般の試合と同じぐらいの迫力で、思わず見入ってしまった。自分もこの世界で戦いたいと思った」

パラバドミントンに本格的に軸足を移し始めた大学卒業後の14年、アスリートとしての転機が訪れた。すでに世界一になるなど実績は十分だったにもかかわらず、豊田さんのプレーを見た元五輪代表の米倉加奈子さんから厳しい指摘を受ける。「もっと体つきを変えないと。このままじゃパラリンピックは勝てない」

当時は週の半分練習する程度で、体調管理も自己流。トップアスリートとしての準備が足りないのは明らかだった。そこでトレーニングメニューを大幅に変更。毎日、午前中はかかさず会社の実業団の練習に通い、午後は米倉さんからマンツーマンで指導を受けるようになった。

厳しい環境に身を置くことで、気付かされる点は多かった。例えば、体のバランス。それまで左腕がないのを「一度もハンディと思っていなかった」が、実際は左右の筋力に大きな差ができていた。同じパラ選手からヒントを得て昨年11月にはトレーニング用の義手を製作。バランス強化に取り組み始めた。

メンタル面でも「ヨネックスの(実業団チームの)選手は強い気持ちでしっかりシャトルを追いかけているのに対し、私はすぐ諦めてしまっていた」。毎日共に練習することで自らの未熟さを見つめ直すようになったといい、「今では追い抜かすくらいの気持ちで取り組んでいる」と話す。

パラリンピックは「選手人生で初めての長期的な目標」。トップ選手としての使命感もある。「これから一年一年結果を出しながら、パラバドミントンを盛り上げる活動ができれば」と力強く夢を語る。競技に出会った時から変わらない純粋な思いを胸に、憧れの舞台まで突っ走る。

車いすラグビー・倉橋香衣さん

屈強な男たちに交じってボール追う

パラスポーツで唯一、車いす同士をぶつけあう激しさで知られる車いすラグビー。「マーダーボール(殺人球技)」との異名も持つ競技で日本代表の紅一点が、倉橋香衣さん(商船三井)だ。マッチョな男たちに突き飛ばされても、「楽しい、というのが一番頭にある」と26歳は屈託のない笑みを見せる。

日本代表チームでは屈強な男たちにまじってプレーする。大学3年の時、部活のトランポリンで頸髄を損傷。「私は何とかなるか、という性格」でリハビリに励んだという

競技を本格的に始めたのは3年前。日本代表のケビン・オアー・ヘッドコーチの目に留まり、今年に入って代表合宿に呼ばれた。5月の米国遠征と、千葉市で開かれた国際大会で代表史上初の女性選手として出場。絵に描いたようなとんとん拍子の出世だ。

男女混成のこの競技では障害の軽重に応じた持ち点が選手につけられ、コートの4人の合計を8点以内に収めるルールがある。倉橋さんは障害が最も重い0.5点の選手。ただ女子1人につき0.5点を上積みできる特例があり、倉橋さんが入ると障害の軽い選手3人(3.0点2人と2.0点1人)が同時に出られる利点があることが、いきなり重用された理由の一つだ。

特別扱いの負い目は本人も感じていて、「男子の0.5点の選手と同じ動きをできるようになりたいと練習しています」と力を込める。倉橋さんが持ち点通りの力をつければ、戦力は厚みを増す。

5月の大会で倉橋さんを使い続けたオアー氏は「経験が大事。彼女を代表の弱点とは呼びたくない。他の選手と同じレベルまで引き上げたい」と期待する。倉橋さんも選手の組み合わせごとに違う戦術を会得しようと懸命で「やっと理解してきたところ」と話す。

大学3年の時、部活のトランポリンで前回りに失敗して頭から落ち頸髄(けいずい)を損傷、車いす生活に。ただ同じ障害を負った人が人生に絶望する姿を見ても「私は何とかなるか、という性格」と前向きにリハビリに励んだ。

プレー中も絶やさない笑顔を本人は「出っ歯なだけ」とかわすが、競技を知る楽しさがまだ先に立っているからかもしれない。裏を返せば本当の深さ、怖さがわかるのはこれから。倉橋さんから笑顔が消えたときこそ、真の日本代表の誕生だ。

(摂待卓)

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