ロシア文学の少女のように… 松田華音の深いピアノ
クラシックCD・今月の3点
松田華音(ピアノ)
ピアニストの松田華音は今年3月、首席指揮者アンドレア・バッティストーニ率いる東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会に、別世界からの妖精のように現れた。ピアノ協奏曲の名曲、ラフマニノフの第2番。CDで聴けば問題ないのだが、実演では管弦楽が予想を超えて分厚く書かれていることがわかり、ピアノが埋もれてしまいがちだ。写真で見る以上に小柄できゃしゃな松田がどう弾きこなすのか……。そんな心配は最初の和音を聴いた段階で吹き飛んだ。
2002年、6歳でモスクワに渡り、ロシア音楽の伝統とピアニズムの王道を究めてきた成果はもちろんのこと、私たちが文学や演劇、映画の世界で体験してきたロシアの芸術全般に通じる香り、格調といったものが濃厚に漂う。楽譜を読み込み、時代背景を考え、実に深いところから発想された打鍵の一つ一つが、ロシア音楽を得意とするイタリア人指揮者の熱い音楽と有機的にからみ、バランスする。少女の面影を残しつつも、音楽は大人の味わいに満ちている。
「ドイツ・グラモフォン」レーベルからのセカンドアルバムに当たる新譜も、プロコフィエフとムソルグスキー、「ロメオとジュリエット」と「展覧会の絵」のロシア王道プログラムに徹した。イタリアのヴェローナを舞台とした悲恋物語をシェイクスピアが戯曲に編み、プロコフィエフがバレエ音楽に生かした経緯。あるいはムソルグスキーが友人の画家、ガルトマンの遺作展で1点ずつ眺める絵の印象にとどまらず、そこに描かれた主題の意味するもの。松田の演奏を聴いていると、テクニックや音色の鮮やかさよりも、そこに語られるストーリーの豊かさに耳がひらかれていくのが心地いい。(ユニバーサル)
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)、サラゴン弦楽四重奏団
ベルギー人作曲家のセザール・フランク(1822~90年)は教育者としても名高く、フランス人のエルネスト・ショーソン(1855~99年)もパリ音楽院の教え子の1人だった。音楽史でのショーソンは「自転車事故で亡くなった作曲家」のイメージが付きまとい、ヴァイオリンと管弦楽のための「詩曲」だけが突出して有名だが、他にも交響曲からオペラ、歌曲まで、素晴らしい作品がたくさんある。
コンセール=協奏曲とはいえ、実際にはピアノ、ヴァイオリンの独奏者と弦楽四重奏団が音楽の会話を繰り広げる室内楽作品も、もっと演奏されてしかるべき傑作だ。これまでのディスコグラフィー(盤歴)がカサドシュ、ロジェ、コラール、ティボーデらフランス人ピアニストの独壇場の様相を呈している中、ロシア人のメルニコフが果敢に挑んだ。ドイツ人ヴァイオリニストのファウストとはすでに、フランス系カナダ人チェリストのジャン=ギアン・ケラスも交えた室内楽、協奏曲で作品の時代様式と楽器奏法を鋭くとらえ、数多くの名盤を世に送ってきた。
ここでもフランス往年のピアノの名器、1885年製の「エラール」を弾き、86年に初演されたフランク、92年に初演されたショーソンと同時代の響きにこだわる。2曲には、ベルギーの大ヴァイオリニストで作曲家だったウジェーヌ・イザイ(1858~1931年)が世界初演した作品という共通点もある。対するファウストもイザイの同国の先輩に当たるアンリ・ヴュータン(1820~81年)がかつて所有した1710年製ストラディヴァリウス「ヴュータン」を携え、メルニコフと一つの世界を共有する。サラゴン・カルテットもドイツの団体なので、あまたのフランス・ベルギー系の名盤とはかなり異なる響きが立ち上る。ほの暗く、内側に沈潜していくような響きともいえるが、2曲によくマッチしている。(ハルモニア・ムンディ・フランス、日本輸入元=キング・インターナショナル)
ライナー・キュッヒル(ヴァイオリン)
福田進一(18世紀ギター)
キュッヒル(1950年生まれ)は母国オーストリアが誇る世界屈指の名門楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを2016年まで45年間務めあげた。夫人が日本人という縁もあり、今年4月にはNHK交響楽団のゲスト・コンサートマスターに就いた。一方の福田進一(1955年生まれ)は1981年にパリ国際ギターコンクールで優勝して以来活発な演奏活動を続け、ディスコグラフィーも間もなく100タイトルに達する見通し。従来のレパートリーにとらわれず、他の楽器のために書かれた18世紀の音楽から最新の委嘱まで、膨大な作品に立ち向かってきた。作曲当時の楽器の仕様にこだわる、ピリオド楽器への関心も強く「18世紀ギター」「19世紀ギター」と、楽器を持ち替えたアプローチの先駆者でもある。
還暦を過ぎて出合ったオーストリアと日本、2つの国の名演奏家が最初の録音に選んだのは18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したイタリアの2人の作曲家、ニコロ・パガニーニとマウロ・ジュリアーニの作品。当時、ヴァイオリンとギターの二重奏は現在よりもポピュラーなジャンルで、このディスクに選ばれた4曲は群を抜く人気曲だった。
2人ともベテランの域に達した名演奏家だけに、技で周囲を圧するのではなく、互いの心のおもむくまま、じっくりと名曲をめでる感触で一致する。意表をつく組み合わせだったが、結果は極上のブレンドに仕上がった。(アールレゾナンス)
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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