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「ほぼ日」取締役ママ 模索したキャリアと子育て

2017/8/10

日経DUAL

 コピーライターの糸井重里さんが社長を務める「ほぼ日」が、2017年3月に株式を新規上場(IPO)。幅広い世代に人気のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」や「ほぼ日手帳」などで知られる同社の株式上場を支えたのが、取締役CFO管理部長の篠田真貴子さんです。

 篠田さんが「ほぼ日」の一員となったのは2008年のこと。入社前には、日本長期信用銀行(現・新生銀行)勤務、アメリカへの夫婦MBA留学、国際関係論の修士学位取得、マッキンゼー勤務など華々しいキャリアを順調に築いてきました。挫折知らずのエグゼクティブママという印象を受けますが、20代・30代は自分の居場所を探し、進む道を模索する毎日だったと振り返ります。2児の母でもある篠田さんに、子育てとキャリアの両立に悩んだ過去についてお聞きしました。

篠田真貴子さん(写真:品田裕美)

■20代 人が褒めてくれることで満足していた

 これまでを振り返ると、正直なところ、はっきりと「自分がこれをやっていくんだ!」というゴールが見つからずに困って立ち止まることが何度もありました。

 大学卒業後、日本長期信用銀行に入ったのも、バブル期の就職活動で受けた企業の中で一番初めに内定が出たから。運も良かった部分もあったんです。当時、金融業界ではない希望もあったのですが、学生の私が狭い視野で卒業後の進路を考えるよりも、社会の第一線で活躍する大人が「来てほしい」と評価してくれるところで働いたほうがフィットするだろうと考えました。でも実際に働くようになると、自分にはあまり合わなくて……退社後、夫と共にアメリカへ留学をしてビジネススクールへ行きました。

 世界銀行で働きたいと思っていたのですが、実際に働いている人から話を聞くと、私が思っていたよりも官僚的なところがあって違うなと。これから先どうしよう、と思っていたときにビジネススクールで面接をしてもらえる機会があり、マッキンゼーからの内定が出たので入社することにしたんです。

 長銀にしても、留学にしても、マッキンゼーにしても、そうした一見華やかそうなキャリアを周りの人は褒めてくれます。そういった表面的なことで自分の自尊心が満たされるようなところが、当時は少なからずありました。20代のころは「この会社で私は何をしたいのか」という軸がなく自分が本当にやりたいことが見つからないまま、見た目のキャリアで、激しいモラトリアムをごまかしていましたね。

 マッキンゼーでは、クライアントの新しいプロジェクトを成功させるためのコンサルタントをしていましたが、当時上司から「あなたは何をやりたいの?」とよく問われました。最初のころは「まだ分かりません」という感じでも許されましたが、そんなに甘くはありません。年次が進むにつれて「昇格水準に達するスピードが遅いです。この遅れを取り戻すためには相当頑張らないといけないけれど、あなたは頑張れますか?」などとプレッシャーをかけられました。

■30代 中間管理職としての明るい将来像が描けず、悶々

 マッキンゼーを辞めたとき、自分のモチベーションとしては完全に路頭に迷っていましたね。当時、人材紹介の方に「何をしたいのか、分からないんです」と素で言ってしまうくらい(苦笑)。そんな私に次の道が開けたのが、外資系製薬会社であるノバルティス。34歳のときでした。

 入社翌年には、第一子となる長男が生まれました。子どもが生まれると、時間的にも体力的にもそれまでと同じようには働けません。一方、大学の同級生や前職の同年代だった周りの友人は、30代半ばくらいで役職がついたり、その人の名前で仕事が世に出始めたり。みんなが活躍し始めているのに、私は子どものお世話で立ち止まっているというような劣等感や焦燥感が心の片隅にありました。

 マッキンゼーでの仕事は、とても楽しくやりがいもありましたが、求められるレベルに自分の力が及ばないという挫折を経験。その後に勤めたノバルティスでは、前向きな気持ちをなかなか持てずにいました。

 そうは言っても仕事は好きで、目の前の課題を解決することへの責任感もあったので、一生懸命やりました。すると成果が出てきて、だんだん職位が上がります。

 ノバルティスは外資系の会社とはいえ、日本での歴史も長い大企業だったので、職位が上がることは、つまり部下が増えて、管理する地域が増えるということでした。職位を得てみて初めて、私にとっては部下が増えるとか、自分の予算が増えるとか、管理する地域が増えるとかはどうでもいいことだったのだと気が付きました。

 私が面白みを感じるのは、扱う課題の質が変化すること。ある特定の分野だけでなく、より全体的なことに関わり成果を上げるほうが面白いと感じます。友達が管理職になったから私もなりたいとあれほど思っていたのに、いざその立場になってみると私が欲しいものではありませんでした。

 当時、自分に見えているキャリアの選択肢は、たとえ転職をしても大企業の中間管理職を積み上げていく以外になくて。このままではプロフェッショナルとして組織人失格と悩んでいました。

 さらに、本社がスイス、アジアの本部がシンガポールにあるので、仕事ができると海外勤務をさせようという話が出てきます。けれど、子どもが1人、そして2人になり、夫は日本の企業で会社員をしています。夫を説得してまで海外勤務をしたいというモチベーションはなかったので、次の方向性が見いだせず八方塞がり。

 それまでは、何となくそれぞれの転職先の中でのレールに乗ろうとしていたけれど、私は本当にそれを希望しているのかという葛藤で、30代は悶々としていました。

■夜遅くまで開いている保育園の近くに引っ越し

 マッキンゼー時代の先輩には、多種多様なやり方で仕事と子育てを両立しているお手本の女性がたくさんいて、子どもを産んだら、とにかく家と職場と保育園が30分で回れるようにしなさいとアドバイスを受けました。そのため、産後、まずは夜遅くまで開いている保育園の近くに引っ越しました。

 お迎えはたいてい夜8時。子どもが1~2歳のときは、週2回はシッターさんに夜6時にお迎えに来てもらったり帰宅後に夕食や入浴などをしてもらったりしました。掃除も週1回来てもらい、掃除に関しては、基本的にはしないで済むようにしていました。

 それでも、第一子が2歳になるころ、ノバルティスのある事業部の財務責任者をしていたのですが、上司であった事業部長が突然辞めて、後任が見つかるまで代理を任されたんです。もともとの財務責任者としての仕事もあるうえに、事業部長としての取りまとめもやらなければならず、仕事と家庭のやりくりが本当に大変でした。

 夫は私の仕事を応援してくれていましたが、本音のところでは、「小さい子どもを母親ではなく父親が世話をするのはちょっと……」という部分もあったみたいです。私が出張へ行くようなときには「え、(出張に)絶対行かなきゃいけないの?」と言われることもありました。ストレスも結構抱えつつ、話し合いの場を持ち、土曜は夫に子どもを見てもらい、私は近所のカフェで仕事を一気に片付けるなどして乗り切りましたが、そのころが一番子育てのハードな時期でしたね。

 仕事と育児をどう回していくかを試行錯誤していた矢先、知人が糸井重里さんを紹介してくれることになり、仕事とは関係なく、「ただ会いたい」という気持ちでほぼ日を訪れました。もともと私は「ほぼ日」読者。中学生のころに糸井さんの「おいしい生活」のコピーに出会い、糸井さんが作った世界が憧れの世界でした。

 「ほぼ日」が始まったのが、私がちょうど海外留学をしていたときのこと。当時日本語のウェブサイトはニュースくらいしかなく、普通に日本で暮らしている人の感覚でいいと思えるメディアがなかったんです。それで毎日見るようになり、帰国後も見る習慣が続いていました。

 最初に糸井さんと会ったとき、「憧れの糸井さんと同じ部屋で同じ空気を吸っている」という高揚感もあり、何をしたのか細かい部分の記憶があまり残っていないんです(笑)。ただ、ほぼ日のこういうコンテンツが面白いと思っています、こういう商品も買いました、という一読者としての感想をお伝えしました。

■ほぼ日に可能性を見出して

 その後、糸井さんから、今意欲的に動いているプロジェクトの話を聞き、その中の1つに、思想家である吉本隆明さんの講演集をデジタルアーカイブするプロジェクトがありました。とても面白い構想ではあるけれど、それにはお金がかかる。せっかくなら吉本さんに経済的にも報いることもしたい。社会性の高い企画特性もあり、それでほぼ日がもうけるのは趣旨に反する。それで採算をどう考えようかと思っている、と言われて。その場で「まず損益分岐点を計算すると考えやすいのでは」と自分の考えを話したら、話の流れで「それなら手伝ってくれる?」ということになりました。

 糸井さんに言われて、企画書も作りました。報酬も聞かれ、どうしようかと思ったのですが、本業で給料をもらっているし、お金が欲しくてやっているわけではない。ここでしか得られないものは?と考え出した答えは、「プロジェクトが終わった後に、吉本さんに会いたいです」でした。

 その後も月に数回手伝っているうちに、糸井さんから正式にうちへ来ませんか、という話がありました。

 そこで私は、「私は過去会社を4つ経験していて、5年以上続いた会社はありません。理由はそれぞれありますが、結果はそうです。だから、この会社に定年まで一生コミットしてください、と言われたらそれは約束できないんです。そこはいかがですか?」と質問しましたところ、糸井さんがニヤニヤ笑って「いいんだよ」と。

 『七人の侍』の映画を例えに、「ほぼ日のみんなは村人、篠田さんはお侍さん。お侍さんが役目を終わったから去りますというのは大丈夫」ということを言われて。それであれば、最低限こういう点ではお役に立てるという話をして、転職を決めました。

 当時、下の子が0歳のころ。子どもが1人だったときは、子どもがいないときのペースに極力近づけようという思いで乗り切ってきた部分もありますが、2人の育児でそれは無理なことだと悟りました。これまでのようなペースで仕事はできないし、することがいいとも思えない。これから大企業の中間管理職として、歩んでいくキャリアは結構キツイと思っていた時期なんです。

 そこで、1日にやることをすべて書き出してみました。でも、24時間の中に、物理的に仕事と家事と育児と自分の時間がどうしても入りきらない。糸井さんから、働かないかと誘われたとき、「ほぼ日」であれば、24時間に入るかは分からないけれど、少なくとも自分の好きなことの一部と仕事が重なる。仕事としてどちらがより面白いかという問いではなく、今ある状況をこの先続けるのは無理という課題が現実にあり、でも、もう1つの選択肢である「ほぼ日」には、少なくとも可能性はある。

 もともとほぼ日ファンだったので、働きながら個人の楽しみも自分の日々の生活に加えていけるかもしれないという希望を持ちました。

篠田真貴子
 「ほぼ日」取締役CFO管理部長。1968年生まれ、東京都出身。1991年に大学卒業後、日本長期信用銀行(現新生銀行)入行。1995年に退職し、アメリカへ留学、MBAと国際関係論の修士学位を取得。1998年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社、2002年スイス製薬大手のノバルティスファーマに転職。2003年第一子出産。2007年、所属事業部が食品世界最大手のネスレに買収されたことにより、ネスレニュートリションに移籍、第二子出産。2008年東京糸井重里事務所に入社、2009年株式会社ほぼ日取締役最高財務責任者(CFO)管理部長に就任。

(ライター平野友紀子)

[日経DUAL 2017年5月26日付記事を再構成]

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