山本寛斎さん 世界基準で考え、好きなことをやる編集委員 小林明

D・ボウイさん(左)の衣装合わせをする山本寛斎さん(1973年、(C)鋤田正義)
「出火吐暴威(デビッド・ボウイ)」と当て字が入った衣装(1973年、(C)鋤田正義)

「1970年代の前半から交流してきた友人で偉大なアーティストでした。ロンドンでの私のショーを見て、興味を持ってくれたのがきっかけ。彼のコンサート衣装などを依頼されて、よく作っていました。当時はプレタポルテ(既製服)がまだシステムとして確立していない時期だったので、大胆な服をたくさん作ることができました。その後、『あなたが歌で表現する世界を私にプロデュースさせてほしい』と頼んだことがあります。明確な返答をもらえたかどうかはよく覚えていませんが、それ以来、なんとなく交流も途絶えたままになっていました」

「やりたいことは生きているうちにやっておけ」が最後のメッセージに (C)鋤田正義

「残念ながら急逝しましたが、彼なりに人生を全うしたんだなと思います。はっきり言えるのは、誰にでも天国が待っているということ。『やりたいことはしっかりと生きているうちにやっておけ』というのが彼の最後のメッセージだったと受け止めています。だから私も残された時間を大切にしたい。愛するものも財産もあの世には持っていけませんから。これまで自分が追求してきた夢や挑戦の総まとめをする時期にそろそろ差し掛かってきたと感じています」

――どんな方向で総まとめをしたいですか。

「山本寛斎は日本の素晴らしい文化を世界に発信し、世界で暴れ回った男だったと後世でも言われたいですね。『世界で一番』という言葉より『世界で唯一』という言葉が好きです。デザインとイベントを両方やっている人間なんて世界でも私くらいですから。現在、孫(長女の長女)が米プリンストン大に留学していますが、ショーやイベントをネットで世界にライブ中継できるので私の姿を見て連絡してきたりする。若い世代に感動を伝えたいから、スマホ(スマートフォン)やインターネットなど進化するメディア技術のことももっと勉強しないと、有終の美は飾れないかなと思っています」

「最近、笑顔が増えた」と知人からよく言われる

「2020年開催の東京五輪に向けても何か考えたいですね。それから日本の歴史も勉強し直しています。古地図を持って街を散策したり、昔の絵師の作品の生々しさや職人の手業の繊細さに驚いたり。現在、支出で一番多いのは書籍代です。新聞の書評欄を参考にたくさん買い込んでいます。次が医療費。2年ほど前に愛犬が亡くなってからは散歩に出なくなったのでやや運動不足。だから腹筋台とか鉄アレイとか運動器具をそろえて運動しています」

目指すは「世界で唯一」、異母弟・伊勢谷氏とも仕事したい

――32歳下の異母弟である俳優、映画監督の伊勢谷友介さんとはよく会いますか。

「先日、雑誌で対談しましたが、普段、あまり会うことはありません。かなり年齢の離れた弟ですが、私と同様にものを表現する仕事で頑張っている姿を見ると、やはり同じDNAを持っているんだなと感じます。良い刺激も受けています。ただ、私の時代とは違いますから『もがき苦しんだ量は私の方が多いかもしれないね』みたいなことを話した記憶はあります。私の方が年長ですから当たり前ですが……。とにかく彼と一緒にいろいろな仕事ができたら楽しいし、素晴らしいことですね」

山本寛斎
1944年仕立屋の息子として横浜市に生まれる。日大英文科中退。67年「装苑賞」受賞。71年に日本人ファッションデザイナーとして初めてロンドンでデビュー。74年パリ、79年ニューヨークに進出。93年ファッションの枠を超えたスーパーショーを開催し、活動の軸足をデザイナーからイベント演出に移す。俳優の伊勢谷友介氏は異母弟。俳優の椎名桔平氏は義理の息子(次女の夫)。
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