山本寛斎さん 世界基準で考え、好きなことをやる編集委員 小林明

――そんな成功者がなぜイベント演出に転身したのですか。

「パリでも同じようなショーをしたら酷評されたんです。『服作りで勝負しろ』と……。自分の得意分野を否定されたので、これはショックでした。調子に乗りすぎたんですね。自信を完全に失い、ビジネスも下り坂になり、多額の借金を抱えて自殺を考えたこともあります。その後、努力してビジネスはなんとか持ち直しますが、ファッションショーでいくら拍手をもらっても、どうしても満足できない自分がいた。もっと人を喜ばせたい。感動を共有したい。自分が本当にやりたい方向がそのとき初めて見えたんです。以来、ファッションの枠組みを超えたスーパーショーを演出するようになりました」

――挫折をうまく乗り越える極意とは何でしょうか。

「あまり理屈では考えずに、本能のままに人生を歩んできましたが、やはり好きなことをやることが最も大切なんじゃないでしょうか。苦しさにも耐えられるし、信念もぶれない。挑戦する心を持ち続けること。良いことばかりの人生なんてありません。つらいことばかりでしたから。でも苦しさがあるからこそ、それを乗り越えたあとの喜びも大きい。私もなんとかここまで生き残ってこれた。随分としぶとい人間だなと思いますね。最近、笑顔がかなり増えたねと知人から言われるようになりました」

中学・高校時代は応援団長、元気で寂しさを払拭したい

――元気を生み出す源泉は何ですか。

「つらいことばかり」と人生を振り返る

「私は明るい人間だと思われがちですが、実は内面に暗い部分を抱えています。7歳のときに両親が離婚し、父の実家がある高知の児童養護施設に預けられた経験があります。父が育児を放棄したので、兄として弟たちの面倒をみなければいけなかった。5歳と3歳の弟を連れて横浜から高知まで子ども3人の旅。夕暮れ時、鈍行列車の車窓から見える幸福そうな一家だんらんの灯がなんと羨ましかったことか。寂しかったですね。今でも決して忘れられません。私の人生の原風景です」

「中学、高校の6年間は学校で応援団長を務めていました。人を元気づけ、喜んでもらうことが大好きだからです。集団を統率するノウハウも応援団の活動を通じて身に付けました。現在、数々のイベント演出ができるのもこの経験がかなり役立っている。大きな声を出すことにも自信がありますし、今でも発声練習を続けています」

――最近、日本人のファッションデザイナーが小粒になったといわれていますね。

「森英恵さんや高田賢三さん、三宅一生さん、山本耀司さん、川久保玲さんら多くの日本人デザイナーが世界で活躍してきましたが、それぞれ命懸けで仕事に取り組んでいたのは確かです。時代の巡り合わせもあると思います。我々がすべてをやり尽くしてしまいましたから。日本人の若いデザイナーと話したことがありますが、もう登るべき高い山がないみたいなことを話していました」

D・ボウイ氏「やりたいことやれ」、人生をそろそろ総括する時期に

――2016年1月、友人のデビッド・ボウイさんが亡くなられました。どんな人でしたか。

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