日本人ファッションデザイナーとして初めてロンドンでデビューして大成功し、英ロック歌手デビッド・ボウイさんのステージ衣装なども手掛けてきた山本寛斎さん(73)。今ではファッションショーから手を引き、音楽、舞踏、演劇の要素を盛り込んだ総合イベント「スーパーショー」などの演出を手掛けるプロデューサーとして活動を続ける。なぜエンタメ重視のイベントプロデューサーに転身したのか? 元気を生み出す源泉は何か? 人生の苦悩や転機、自己啓発術、デビッド・ボウイさんとの交友、家族の絆なども含めてこれまでの半生を振り返ってもらった。
山本寛斎事務所本社(東京・世田谷)の応接室。インタビューに応じてくれた寛斎さんは目の覚めるようなグリーンのジャケットとパンツ、真っ赤なシャツとスニーカーという派手ないでたちで現れた。
発想は「自然との対話」から、わびさび文化は合わない
――鮮やかな衣装ですね。きょうの着こなしのポイント何ですか。
「いつもどんな服装で行くか悩みますが、当日の天候や気分も大きく影響しますね。もともとは黒と赤の組み合わせを考えていました。でも、きょうは天気がとても良いので黒だと雰囲気が少々重いかなと考えて、緑と赤の組み合わせに変えました。この組み合わせが一番目立つ配色なんです」
――仕事の発想や刺激はどこから得ているのですか。
「自然と対話すると不思議に答えが見えてきます。先日、滋賀県の緑が豊かな場所で開催されたショーに参加したのですが、あえて真っ赤な衣装で行きました。緑の木々に囲まれた環境ならやはり赤い花が一番目立つでしょう。どの季節にはどんな色の花がよく輝いて見えるのかということは、いつも注意して観察しています。自然界には合理的な理由がありますから。あとは日月火水木金土。イベントをするときにはこれらの要素が入っているかを必ずチェックしますね。バランスを取るために」
――日本古来の文化を世界に発信してきましたね。
「日本の文化は伝統的に『わびさび』なんですよ。自分の個性を抑えて、なるべく地味にいこうみたいな空気がある。だから私のような人間は日本ではどうしても浮いてしまう存在なんです。でもわびさびとは別に、日本には安土桃山文化の戦国武将などに通じるような豪快で奇想天外な美意識もある。継承者は少ないが、そうした文化の方が自分には合っていると思います。つまり、私の元気は世界で通用する元気なんです。これまで世界基準でものを考え、行動してきたつもりです。だから私には日本からよりも世界からの引き合いの方が多い」
なぜロンドンで大成功? パリでの挫折が人生の転機に
――ロンドンではどうやって成功したのですか。
「たとえばアフロヘアに蛇革のジャケットとパンツで日本の街を歩いていると、周囲から笑われたり、冷ややかな視線で見られたりするのに、ロンドンでは反応がまったく違った。キングスロード辺りを何往復もしていたら、ブティックの店員からは絶賛されるし、有名雑誌『LIFE』でも紹介されてしまったのでビックリしました。その勢いで瞬時に衣装が替わる歌舞伎の『引き抜き』などの技法を駆使したファッションショーを開いたら大好評。私は一躍、有名人になったんです」