トウガラシは野菜? 「幸せの国」ブータン人の大好物
今年6月、秋篠宮家の長女・眞子さまがアジアの小国ブータンを訪問された。ブータンと言えば2011年、ワンチュク国王夫妻が来日して以来、「国民総幸福量」の増加を政策とする「幸せの国」として一躍注目を浴びるようになった国だ。以来、この国の料理も、メディアでしばしば「激辛料理」として取り上げられるようになった。トウガラシを多用するからだ。ところが、どうやらそれはとんだ勘違いらしい。
話を聞きに向かったのは、06年にオープンした東京・代々木上原のブータン料理店「ガテモタブン」。デザイナーの臼田香太さんら5人がオーナーとなって始めた店だ。店を始める前、臼田さんが考えていたのは、「30年続く店」。飲食店のはやり廃りが激しい中、長く続く店を作るのは簡単ではない。でも、食べ歩きが好きだった臼田さんは、「年を経ることでしか出ない、味わいのある店を作りたい」と考えていた。そうした中で出合ったのがブータン料理だった。
臼田さんがブータンを訪れたのは2001年、美術大学の研究生だった時だ。大学の教授らと訪れたこの国で、臼田さんは衝撃的な料理に出合った。「エマダツィ」だ。トウガラシのチーズ煮込みで、これをおかずにご飯を食べる。「こんな組み合わせの料理があるのかと驚きました。僕は辛いのが苦手なんですが、エマダツィはおいしくて」(臼田さん)。
帰国後、学園祭の模擬店でブータン渡航時にお世話になった日本ブータン友好協会の渡辺千衣子さんのレシピでブータン料理を出したところ、大評判になった。トウガラシを使った薬味「エゼ」を添えたブータン式餃子の「モモ」は、3日間で3000個以上も売れたという。
ブータン料理には必ずトウガラシが入る。生トウガラシだったり、乾燥だったり粉末だったり。「激辛料理」と言われることが多いのはそのためだ。でも、ブータンの人は辛いものが好きなのではない。野菜としてのトウガラシが好きなのだと、現地を知る人は異口同音に言う。
「ブータンの人に一番好きな野菜を挙げてと言ったらトウガラシが挙がる。そんな感覚です。好きな野菜だから、どんな料理にも入っているんですよね」と何度もブータンを訪れている「ガテモタブン」店長の村上光さんは話す。
6、7月になると、ブータンでは生のトウガラシのシーズンが始まる。ブータンのトウガラシは大きく肉厚で、外見は日本の万願寺トウガラシに似ている。「初もののトウガラシは生のままかじって食べる。ブータンの人は塩だけ付けてかじるんです」(渡辺さん)。
瑞々しいキュウリに塩を付けてかじり夏の到来を感じる、そんな感覚だろうか。ブータンでは生トウガラシが採れない時期に備え、シーズンの終わりにはトウガラシを大量に乾燥させるのだが、秋にブータンに飛行機で降り立つと、屋根いっぱいに赤いトウガラシが天日干しされているのが見えるらしい。「あれを見ると、ああ、ブータンに来たなという感じがします」(渡辺さん)。
臼田さんにとって「衝撃の味」だったエマダツィはブータンで特にポピュラーな料理で、毎食のように食卓に上るほどだとか。「ガテモタブン」をオープンした当初は、主役のトウガラシを残して、チーズのソースだけを食べる人が目立ったそうで、トウガラシを食べる料理であることが浸透してきたのは最近のことだという。
スープのようなものから汁気のないものまで様々なスタイルがあり、現地では主役となるおかずではなく、味噌汁や漬け物のような「脇役」であるらしい。「ガテモタブン」でこれを注文すると、赤や緑の生トウガラシがどっさり入ったシチューのような料理が運ばれてきた。覚悟を決めながら口に運んだが、うんん? チーズのまろやかさに包まれ、さほど辛い料理だとは感じない。むしろピリリッとした刺激の中に甘味を感じる。チーズにはコクがあり、ご飯のおかずとして食べるものだがこれだけでもおいしい。
トウガラシが入ることを除けば、ブータンの料理の味付けはシンプル。日本人が馴染みやすい味でもあると臼田さんは言う。どの料理も味付けに使われるのは、塩、トウガラシ、サンショウ、ショウガぐらい。素材の味が生きる調理法なのだ。
ブータンのことをよく知らない女性客から、「この料理、だしが効いているわね」と言われたこともあるとか。
「料理名もシンプルなんです。『エマダツィ』は『エマ』がトウガラシ、『ダツィ』がチーズという風に、メインに使う食材や調理法がそのまま料理名になっている」(臼田さん)。「ケワダツィ」(ケワはジャガイモ)、「ドロンダツィ」(ドロンはナス)もポピュラーな料理だ。
ブータン人がトウガラシ好きなのは、ご飯が大好物であるかららしい。トウガラシが入った料理であれば、少しのおかずでもどんどんご飯がすすむからだ。渡辺さんに「これが、典型的なブータンの食事です」という写真を見せてもらうと、皿いっぱいに盛られたご飯の上に載ったおかずはほんのちょっぴり。「これは、昔ながらのブータンの『お弁当箱』」と言って見せてくれた蓋つきの丸い籠は直径20センチほどもあった。
籠にこんもりご飯を入れピクニックに持って行ったりするのだという。もちろん、籠一つが一人分だ。村上さんも、「ブータンではお皿のご飯がなくなると、わんこそばのようにまたご飯を盛ってくれたりするんです。最初は断っていいかどうか分からなくて、ものすごい量を食べてしまいました」と笑う。
ご飯をたくさん食べるブータンの食事に欠かせないのはエゼだ。先に「薬味」と書いたが、どうやら日本で言えば佃煮や漬け物のような「ご飯のお供」でもあるらしい。作り方は、生のトウガラシを使ったものから、粉末や乾燥トウガラシを使ったものまで各家庭によって千差万別。
「生トウガラシにパクチーやチーズを混ぜたものなどもあります」(渡辺さん)。「ガテモタブン」のエゼは、粉末トウガラシとタマネギを油でいためたもので、これを添えたモモを食べてみると、しっかりとした生地に包まれたひき肉の肉汁にトウガラシの辛さが混ざり、肉のうまみを引き立てている。
ブータンの代表的な肉料理、豚のバラ肉とトウガラシの煮いため料理「パクシャパ」(「パクシャ」が豚肉、「パ」が塊の意味)も食べてみた。大きなトウガラシが入っていたものの、辛さは料理の引き立て役。「パクシャパ」は豚の生肉や干し肉を使うが、食べてみたのはブータン独特の干し肉を使ったものだった。干し肉には脂もたっぷり付いている。多くが農民で体を使うブータン人は、エネルギー源ともなる脂身が好きなのだ。
少しかみごたえもあって、食べていると凝縮した肉のうまみがしみ出してきた。干した脂身はあまり食べたことがなかったが、これが意外にもさっぱり。一緒に煮いためにされたダイコンには煮汁が浸み込んでいて、これもうまみたっぷりの味わい。
「ブータンでは肉だけじゃなくて、野菜も干して使うんです。ナスとか菜っ葉類とか。味が凝縮してパクシャパに入れるとおいしいんですよ」と渡辺さんは言う。
ちなみにブータンは、海外技術協力事業団(現JICA)の農業専門家として同国に派遣された故・西岡京治さんが、栽培技術や新しい品種を持ち込み現地の農業生産の向上に貢献。今は現地でもよく食べる太いダイコンは、西岡さんが普及させた品種改良された日本のダイコンらしい。
鶏ひき肉と春雨のスープ「シャダフィン」も、トウガラシの辛みはあるもののショウガが効いていて、和食のような感覚だった。飽きることのない味だ。スープが多ければ汁物として、少なければおかずのように食べるものらしい。
渡辺さんに、日本ブータン友好協会の事務所にあったブータンのエゼを少し分けていただいた。「ガテモタブン」で食べたエゼとは違う、干した豚肉や干しエビが入ったものだった。
「お味噌汁に入れてもおいしいんですよ」という彼女の言葉を思い出しながら、家でいつもの味噌汁に少しこれを入れてみる。干し肉が少し軟らかくなり、ピリッとした深みのある辛さが加わる。
なにやら無性にご飯が食べたくなった。
(フリーライター メレンダ千春)
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