かつては容姿端麗 同窓会に二の足
作家、石田衣良さん
小、中学校時代は「容姿端麗・博学多才」でした。しかし還暦を過ぎた今、当時とは全く違う自分が恥ずかしく、同窓会への出席をためらっています。どうすれば気後れせずに出席できますか。(千葉県・60代・女性)
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若いころはさして興味がなかった同窓会にも、年を重ねるとだんだんと懐かしさも募り積極的になってくるもの。かくいうぼくも中学の同窓会(というより気軽な飲み会)には定期的に出席していて、この夏も東京下町の居酒屋で盛りあがってきたばかり。
あなたは学生時代、容姿端麗博学多才で通っていたということですね。それを自分でさらりというのもなかなかの厚顔無恥ですが、学友をがっかりさせるのが怖くて、同窓会に二の足を踏んでいる。
結論からいいましょう。時間は万人に平等に残酷です。あなたが昔とは正反対の容姿不自由浅学非才になったとしても、クラスの友人もみな同じように劣化しています。玉のようだった肌はたるみ、顔中にしわが寄り、腹が出てきているのです。もちろん学校を出てからずっと勉強を続けている人などめったにいないので、頭のほうも年相応にくたびれてきています。
同窓会の常連であるぼくからいわせれば、劣化度はほぼみな同じ。ということは、かつて美人で優秀だったあなたは、同窓会では相対的に昔と同じいいポジションです。みんなが等加速度で落下中ですからね。会に顔を出せば、ちやほやされることは請けあい。どうですか、悪くないでしょう。
それに同窓会にいけば、まったく別な種類の心の平和を得られるかもしれません。容姿がすこしばかり美しいとか、知能が平均よりちょっとだけ高いなどという不平等は、長い人生のあいだにどんどんすり減って、たいした意味をもたなくなる。
そうしたちいさな格差は時間が正してくれ、あとに残るのは学生時代から変わらない本人のむきだしの人間性になるのです。損得の計算も見栄を張る必要もない気楽な仲間と集まって、子どもの愚痴やあちこち痛む身体のことを笑い飛ばすのは、実に楽しいものです。
それにあら不思議。杯を重ねていくうちにしわもたるみも白髪もいつの間にか消え失せて、目の輝きだけは学生時代と変わらない、あの頃のままの友人と出会えるのです。これは青春時代を共有した人間同士でしか味わえない魔法です。
という訳で、安心して同窓会に出かけてください。いつもよりオシャレして、お化粧も忘れずにどうぞ。
[NIKKEIプラス1 2017年7月15日付]
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