井上芳雄 演技は「背中」で演じるのが一番難しい
第1回
井上芳雄です。ミュージカルやストレートプレイの舞台を中心に、コンサートなどの音楽やテレビ、映画といった映像の仕事もしています。今年はラジオやナレーションも始めました。舞台を本業としながら、これだけいろんな分野のエンタテインメントで活動している俳優は珍しいと思いますが、とにかく何でもやってみるのが僕の信条。活動が多岐にわたる分、日々新しい発見や感動があります。そんな僕が感じたり、考えたりしたことを「エンタメ通信」として、お届けしたいと思います。
5月から7月にかけて『グレート・ギャツビー』というミュージカルの舞台に立ちました。原作はF・スコット・フィッツジェラルドの小説で、何度も映画化されている名作です。映画ではロバート・レッドフォードやレオナルド・ディカプリオが演じたギャツビーを僕が演じました。
原作を世界で初めてミュージカル化したのは宝塚で、1991年に初演しました。今回の上演は、その宝塚版を手がけた小池修一郎さんが脚本・演出を新たにして、ブロードウェイでも活躍されているリチャード・オベラッカーさんが音楽を書き下ろしたオリジナルミュージカルです。
舞台は1920年代、禁酒法時代のアメリカ。ギャツビーは大邸宅に住み、毎夜豪華なパーティーを開いている大富豪ですが、その過去は謎に包まれています。実は、彼には裏の顔があり、パーティーを開いているのも、かつて愛し合いながらも別れてしまった最愛の女性デイジーとの再会を願ってのことなのです。
原作や映画と比べると、今回のミュージカル版はロマンチックな部分が強調されているのが特徴だと思います。ギャツビーの性格は、原作の印象よりもはるかにロマンチストで、いつデイジーに会っても恥ずかしくない男でありたいという一途な愛に生きる男の姿が押し出されています。セットも豪華で、衣裳も華やか。演出の小池さんの美学やロマンがすごく出ていて、演じていても面白いなと思いました。
やはり音楽の力は大きいですね。歌にのせて思いを語られると、物語がドラマチックでロマンチックなものになって、高揚感をもたらすのがミュージカルの醍醐味です。
初めての徹底したアウトロー役
僕自身のことでいうと、ここまでアウトローの役は初めてでした。20歳のときに『エリザベート』の皇太子役でデビューして、38歳になった今まで、陽というか善のイメージの役が多かったんです。苦しい状況にあったとしても、耐えて皆のことを愛するといった役柄です。ところが今回のギャツビーは、自分の思いを遂げるだけのために悪にも手を染めるという徹底したアウトロー。そういう役はやってこなかったので、最初は戸惑いました。でも稽古を始めたら、今までやってきたいろんな役の要素を彼が持っていることがわかり、あまり違和感なく、楽しく演じることができました。
これまでの役との共通点で一番強く感じたのは、ハムレットに似ているということ。彼は、とても孤独な人です。誰も信じずに生きてきて、裏社会での地位を築き、デイジーへの愛も自分の中だけに秘めてきた。本当はデイジーと結ばれることで、その孤独感が消えたのでしょうが、かなわなかったことが悲劇を招きました。
ギャツビーの強烈な孤独感は、ハムレットに似ています。パーティーで皆が楽しんでいるところにギャツビーが現れると、全然違う空気がぱっと流れます。ハムレットも、大勢が集まっているところに、1人で父のことを悼みながら入ってくる。誰とも交じりあうことのない孤独。ギャツビーとハムレットは、それを抱えています。
僕がそれを強く感じるのは、自分の中にも同じ孤独があるからかもしれません。主役という立場は、とても華やかな半面、すごく孤独でもあるからです。
絵に描いたような「ド主役」
そして今回のギャツビーは、まさに絵に描いたような「ド主役」でした。最近のミュージカルは、『レ・ミゼラブル』もそうですが、みんなが主役のような群像劇が多く、明確な主役がいたとしても、ダブルキャストやトリプルキャストが組まれます。たった1人の主役が作品を背負うケースはあまりなく、時代の流れに合わなくなってきたとも思えるところに、昔のトップスターがやるような大役を任されたのが、今回のギャツビーでした。
でも僕は、「オレが主役だ」というのが大好きで、やりたいというタイプではありません。もちろん主役はやりたいし、良い役もやりたいですが、自分を一番格好よく見せたいとか、輝いていたいとは、あまり思わない。だから、今回はド主役をいかに演じるか、真ん中に立つ者としての存在感をどれだけ出せるか。それが最大のチャレンジでした。
演技は「背中で演じるのが一番難しい」といわれます。ギャツビーは客席に背を向けて立つことも多いので、そこもチャレンジでした。舞台上では本当に何の小細工もできないから、背中には役者自身の存在感が問われるのです。
だから今回、自分が一番演じていたと思うのは、実は劇中ではなくて、最後のカーテンコールのときです。大階段の上から、スポットライトを浴びて1人ゆっくりと階段を下りてくるのですが、それはすごくエネルギーのいることでした。まさに宝塚のトップスターのような感じで、本来なら照れたいのですが、それはできない。だからカーテンコールでは精いっぱいクールに主役を演じていました。それが大作ミュージカルの主役を演じる喜びであり、同時に孤独な役割でもあるのだと感じつつ。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP社)。10月12日(木)に「井上芳雄 by MYSELF スペシャルライブ」を東京国際フォーラムにて開催。
「井上芳雄 エンタメ通信」の第2回は7月22日(土)。第3回以降は毎月、第1、第3土曜に掲載します。
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