女優・足立梨花さん 母とは姉妹のような距離感
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の足立梨花さんだ。
――幼少期は祖父母と過ごすことが多かったとか。
「私が小学生くらいの頃から母は判子店に勤め、忙しくしていましたね。帰りは夜になることが多く、休日に仕事があることも。普段は祖父母と一緒に過ごしていました」
「祖父母は食事のマナーに厳しくて、はしの持ち方や魚の食べ方を徹底的に注意されました。焼き魚は頭と骨以外は何も残らないようにきれいに食べる。一生懸命祖父母の食べ方を、まねしました。おかげで番組で食べる機会があっても恥をかいたことはありません。当時は厳しいと思いましたがありがたかったな」
「母の手料理は特別な存在。大皿で出てきて、豪快でした。甘くなくて塩気がきいたきんぴらは今もうまく再現できない母の味です」
――お母さんはどんな人ですか。
「やんちゃでパワフルな人ですね。笑顔で元気で、いつも楽しそうだなと思います。一言で表すと『猪突(ちょとつ)猛進』。車を即決で買ったり、休日に急に思い立って一緒にイチゴ狩りに出かけたり。ドライブは本当に楽しかったです。私自身は慎重派ですね。ずいぶん性格が違うと思います」
――教育方針は。
「かなりの放任主義でしたね。言われていたのは『暗くなる前に帰っておいで』くらい。宿題しなさいとか勉強しなさいといわれたことはありません。母が漫画好きなので、アニメやゲームを禁止することはなし。私は母が寝た後ついつい、電気が消えてもこっそり携帯ゲーム機で遊んでいました。3回に1回は母にバレていましたね」
――高校から東京に引っ越したそうですね。
「三重で過ごしていましたが、高校入学のタイミングで一人、上京しました。私は新しい環境と生活が楽しいばかりでしたが、母はさみしかったようです。ちょっとした反抗期みたいに『たまには連絡してよ』『梨花がかまってくれない』と怒っていました」
――今はどれくらいの頻度で会いますか。
「夏休みや正月など年に2回ほど実家に帰っています。15歳下の弟がいるので、普段会えなくてさみしい思いをさせている分おもちゃを買ってあげています。母からは弟が池に落ちた、シーソーから落ちたなどちょっとした日常の報告があります。弟の成長ぶりを共有したいんだと思います。きっかけがないと私はなかなか電話しないので、そういう何気ない連絡はうれしいです」
「ずっと離れて過ごしていることもあり、今は親子というより姉妹の感覚に近いかもしれません。この距離感が気に入っています。普段はお互い自由に好きなことをやっていて、困ったときは助け合う。そんな関係性をこれからも続けていたいですね」
[日本経済新聞夕刊2017年7月4日付]
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