ファッションビジネスの女性伝道師 柳井さんも一目WEF会長・代表理事 尾原蓉子氏(上)

WEF会長・代表理事 尾原蓉子氏
WEF会長・代表理事 尾原蓉子氏

米ハーバード大学でのスピーチといえば、フェイスブック創業者、マーク・ザッカーバーグ氏が「目的の大切さ」について語ったことが記憶に新しい。さかのぼること約20年前、同じハーバード大でスピーチをし、喝采を浴びた日本人女性がいた。WEF(ウイメンズ・エンパワメント・イン・ファッション)会長兼代表理事の尾原蓉子氏だ。大卒女性に採用の門戸がほとんど開かれていなかった時代にパイオニアとして旭化成工業(現旭化成)へ入社。「ファッションビジネス」という概念を日本に初めて紹介した。ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏が「最も尊敬する人」と語ったことでも知られている。

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生まれたのは大阪です。父親が転勤族だったもので、子どもの頃は頻繁に引っ越しと転校を繰り返していました。最初はたいてい縮こまっているわけです。芯は強いのですが、どちらかと言えば人前で話したり、意見を主張したりするのは苦手な子でした。

中・高校時代は名古屋におりまして、愛知県立旭丘高校へ進学。最初に米国留学したのも高校時代です。新聞にAFS高校交換留学生募集の記事が載っていたのを母が見つけて。戦争がなければ、父は商社マンとして世界中を駆け巡りたかったらしいのです。戦時中もこっそり英語のラジオを聴いていたくらいでしたから、すぐに「いいんじゃないか」ということになりました。

よく行かせてくれたものだなとは思います。終戦から10年しか経っていない1950年代のことですから。これはごく最近になって知ったことですが、当時、両親は近所の人たちにこう言われたそうです。「米国みたいな大変なところへ、ようお宅、お嬢さん出しゃーすね」と。

海外のファッション誌に憧れた少女時代

読み書きという意味での英語は得意でしたけれど、会話はさっぱり。最終試験には英語の面接があると聞いて、どうしようかと思いました。その頃はまだ米空軍が名古屋に駐留していて、近所にその将校さんの家があったのです。英語で手紙を書いて丸暗記し、その紙を握りしめて玄関の前に立ち、ドアをノックして奥様に「すみません、ぜひ受かりたい試験があるので英会話のレッスンをしてください」とお願いしました。

いつも「ハーイ!」とあいさつしてくれる、陽気な奥様でした。それに、とてもおしゃれ。テーブルの上にはいつも「ヴォーグ」や「マドモアゼル」「セブンティーン」など、米国のファッション誌が置いてありました。ご主人のために、毎日、アップルパイを焼いていたので、いつも部屋中にシナモンの香りが漂っていた。そのなかでお茶かコーヒーをいただき、雑誌を見ながら会話をしました。もしかすると、そんな体験もファッションに興味を持つようになった原点の一つだったのかもしれないですね。

留学先のアメリカでは、女性たちもみな好きなことをして伸び伸び働いていました。その様子を見て、私も同じように働きたいな、と思ったのね。ただし、大卒女性に門戸が開かれていない時代でしたから、東京大学を卒業して旭化成に入社できたのはほんの偶然だったのです。

合成繊維の開発競争のさなか、旭化成へ

旭化成はその頃、「カシミロン」というアクリル繊維を提携ではない自社技術で開発していましたが、目指す品質を確立するのに苦労していました。また、当時、日本では気に入った布地を選び、採寸して、自分で縫う女性も多かった。

マーケティングも確立しておらず、製品の売れ行きはどうやら市場の流行といったものに左右されていて、男性にはわけがわからないとも思われていました。そこで、デザインと技術、販売の3つを束ねながら商品開発できる大卒女性を1人採ってくれ、という要請が販売開発の現場から人事部へきていた。そこに、たまたまカモがネギを背負ってきたみたいに会社訪問したのが私でした。

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