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私の履歴書復刻版

「言ってきかせる」には社内報 正門前で自ら配る 第4代経団連会長 土光敏夫(18)

2017/7/13

清貧ぶりと無私の姿勢で「メザシの土光さん」と慕われ、1980年代の行政改革の先頭に立った土光敏夫氏(どこう・としお、1896-1988)の「私の履歴書復刻版」。土光氏を知る人がよく言うのは、分け隔てのないコミュニケーション能力の高さです。親会社の社長に就任してまず手がけたのは、社内報の発行でした。

■社内報を発行――合理化精神徹底に活用 第一号は自ら社員らに手渡す

「言ってきかせる」ための、手っ取り早い方法は、社内報を作ることである。

石川島重工の社長に就任してすぐ、私はこの発行を思い立った。わずか、1カ月余の準備期間しかなかったが、関係部署の人間を呼んで、「第1号を昭和26年(1951年)1月1日付として、発行にとりかかりなさい」と命じた。石川島としての、はじめての社内報である。関係者は、未経験分野の仕事を仰せつかり、しかも時間的余裕もなかったことから、ずいぶん苦労したようだが、暮れには印刷も出来上がった。タイトルは、簡明にして直截、ずばり「石川島」とした。

その第1号に「年頭の挨拶」として、私は次のようなことを述べた。

一、各工場別採算の確立。25年に組織を変更、生産管理方式による生産合理化を実施した。この徹底努力のため、優秀な技術経験をもつ各工場は、おのおのその特徴を生かし、強力な運営にあたること。

二、健全経営の確立。能率向上、経費節減につとめているが、さらに材料管理、製品重量の軽減等、あらゆる面の支出を減少して、会社全体の経理面を合理化、健全化する。

三、受注の計画化、製品機種の統一。計画性のある受注を計り、実行予算を厳守すること。

四、組織の活用と事務能率の向上。科学的事務化をはかり能率をあげ、あらゆるムダを省く。

五、社風、社紀の高揚。対外的信用を高め、自主態勢をもち、変化に対応し得る心組をもつことなどなど。

「社長に就任した当日、挨拶はそこそこに、いきなり伝票や領収書をことごとく集めさせ、社長室の机に山積みにした。重役だけでなく、部課長、係長まで一人一人を呼んで、この領収書の山を背景にして怒鳴った。“諸君は冗費が多い。もっとムダを省き、合理化出来る余地はたくさんある。この書類の中を合理化しただけでも、すでに十分の利益が出る”」

ある評伝で、私のことを上のように書いているが、これは“伝説”である。いくら私でも、わずか一日で、それらの領収書をいちいち点検できるわけがない。私の所へじかに持って来させるだけで引き締めの効果が出るから、それをやらせたまでである。事実、そのことによって、翌月から、石川島の経費、冗費はガクンと減り、確か半分ぐらいになったはずだ。

一人一人呼んだのは、将来の石川島のあり方について意見を徴するためと、早く名前と顔を覚えるためである。

即答できる者、できない者さまざまであったが、徴した意見のうち、いいことは即刻実行した。

たとえば、ある課長は、技術中心の石川島の伝統をよりのばすためには、研究所を充実すべきだといった。私はただちに大学から優秀な教授を引っ張って来て「技術研究所」を設置した。

能率をよくするためには、まず調査を始めるべきだとの意見によって、日本能率協会より技師を招き、中堅職員17人を加え、「能率調査班」を編成した。この班が、科学的分析に基づき、生産管理方式を中心とした改善案を出したのである。そうして、これはのちに「生産合理化委員会」の設置となる。この委員会は、わずか半年の間に数十回も会議をもったろうか。その成果が、今でいう「目標管理」である。

たとえば、まず国家予算を基礎にする。そのころ、日本の予算は約1兆円であった。その部門別のワクが決まれば、鉄鋼、造船への配分も明らかになる。民間企業にしても、銀行調査部などのデータで事業資金の流れはつかめる。一方、過去5年間ぐらいのわが社の各部門の受注量を計算し、それが全体の何パーセントに当たるかを割り出し、それによって通常ならばどれぐらいの受注量が可能かがわかる。それに目標額を上のせし、生産、営業が一体となって努力する。「A社は、今年は起重機何台、コンプレッサー何台を発注しなければならないはずだから、そのうちの何台をわが社が取れ」

――こうしてノルマを各部課に割り当て、場合によっては、個人に課すこともある。

この目標管理方式の陣頭指揮をとったのは、田口連三君である。彼にいわせると、「うちの担当員は、担当社の節穴の数までことごとく知るほど、その社に精通してきた」と誇る。

社内報「石川島」は、26年1月4日、本社、初出社の日に全社員に配布した。その日早朝、私は正門前に立って、「おめでとう」と言いながら、出社してくる従業員一人一人に、「石川島」を手渡した。

正月早々、社長の私が正門前に立っているものだから、従業員はかなりびっくりしたらしい。

が、なかに、びっくりしただけではなく、モジモジしている者もいる。「社長、おめでとうございます」。挨拶はいいのだが、オーバーの前をしっかりと抱くように閉じて、そうそうに私の前を立ち去ろうとする。そのオーバーの合い間に、一升ビンがのぞいているのである。

正月のこととて、職場で祝い酒をやろうと、一升ビンを持参して来たが、社長が門の前に立っているので、あわててオーバーの下に隠したのであろう。

私は苦笑いをしながら、見て見ぬふりをしていた。

この連載は、昭和57年(1982年)1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および「私の履歴書 経済人 第20巻」(日本経済新聞出版社)の「土光敏夫」の章を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2012年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

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