「人生に、後でやろうはない」 高橋美都子さん
ハーバーツ社長(折れないキャリア)
常に自分に課すのは「実力に負荷をかけて目標の設定バーを上げる」こと。他人と同じ仕事をしていては意味がない。だから改善案や新規提案をどんどん出す。歓迎されることもあったが「出しゃばるな」「言われたことだけしろ」と拒まれ、悩んだ時期もあった。
1997年から2007年まで米総合物流大手UPSの日本法人に在籍した。マーケティングスーパーバイザーだった05年、自らの働き方を振り返り「このままでは自分の鮮度(付加価値)が落ちる」と反省。青山学院大学経営大学院に入り、07年に経営学修士(MBA)を取得した。
コースに在籍した100人近いクラスメートの半分弱が女性で、知り合いのほぼ全員がキャリアアップの形で転職したり、出世したりした。自身も08年、米ボーイングの日本法人の広報マネジャーに転職した。
決めたら即、行動。この姿勢は88年、30代前半で父親を亡くしたことからきている。定年間近の父は「退職後は絵を描きたい」と道具をそろえ始め、心待ちにしていたが、病魔に侵され、夢はかなわなかった。この時「人生に後でやろうはない。自分のやりたいことをやる」と決意した。
海外経験が豊富だ。大学卒業後、インド政府奨学生として留学した。パリ、モスクワにも在住。その間に2女をもうけ、89年から93年はインドの航空会社ジェットエアウェイズの日本窓口で働いた。モスクワは夫の転勤に帯同したが、離婚して97年、シングルマザーとして帰国した。外資系企業はどこも子育てに理解があり、特段困った点はなかったと振り返る。
ボーイング時代に娘2人が独立し「心の解放を感じた」。同時に「やり残したことはない?」と自問。子どもの教育に向き合えていなかったとの念がわいた。
「ならば」と即行動。ボーイングを辞め、国際交流基金が東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国へ日本語教師の支援役として派遣する「日本語パートナーズ」の第1期生として14年9月タイに渡った。翌春の帰国後、海外進出支援コンサルティング会社「ハーバーツ」を起業した。
男性がつくった体制の中で、仕組みを変えない、壊さない形での女性活躍には限界があるとみる。ハーバーツを基盤に、教育関連事業を始めるのが今の目標だ。
(聞き手は田中昭彦)
[日本経済新聞朝刊2017年6月26日付]
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