妻の手料理、1日1曲の源 宇崎竜童さん
食の履歴書
裕福な家庭で育った子どもの頃は、おいしいものを食べるのが日常だった。大人になり、美食を極めるには、ロックンローラーとしてヒット曲を出し続けるしかないと、創作活動に明け暮れた。結婚後は仕事仲間である妻の料理が才能を支える。
少年期に銀座でステーキ
生後すぐ、京都から東京に移り中学3年まで代々木上原で過ごした。父は海外航路の商船で機関長だったが、やがて日本橋で船具を扱う会社を興し成功。当時は戦後の復興期で皆貧しかったが、家でのおやつといえば舶来のチョコやクッキー。外食も当たり前で「ステーキに出合ったのは小学5年くらい。銀座の有名店で150グラムのサーロインを食べた」と振り返る。
父は子を一流の人間に育てるため、しつけに厳しく、食べ物も洋服も一流の物を与えた。だから、近所の友達と沼にザリガニを捕りに行って、友達が捕ったものを家に帰っておかずにすると言ったときは驚いた。「おぼっちゃんの僕は観賞用に飼うのだと思っていた」
境遇の違いから子ども同士では存在が浮いていた。とはいえ、恵まれているという意識はなく、みんなと一緒になりたいような、なれないような気持ちがあった。そんな複雑な気持ちを癒やしてくれたのがエルヴィス・プレスリーの歌だったが、やがて父の会社が傾き、裕福な時代は終わる。
デビュー前支えた母の弁当
明治大学へ進み、ジャズに出合う。軽音楽の部活動で鍛えられ、読譜・採譜と音楽の基礎を習得。伴侶となる阿木燿子さんとの出会いもあった。音楽三昧の学生生活を終えて社会人に。オフィス用品の販売会社、親戚の音楽プロダクションなどを転々としたが、その間も実家住まい。「昼はサンドイッチやウインナーと野菜のいため物と白ごはんといった、母の手作り弁当のお世話になっていた」
曲作りには自信があった。いつかは音楽家として大成したいと思うようになった。27歳の時、付き合いのあったレコード会社の人に才能を見いだされ「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」でデビュー。「母には申し訳ないが、"粗食"の弁当を食べながら、またおいしいものを食べるぞと思っていた」と笑う。初めの2曲は鳴かず飛ばずだったが、次の「スモーキン・ブギ」で日の目を見る。
バンド活動のほか、宇崎作曲・阿木作詞のコンビで山口百恵さんの「横須賀ストーリー」などヒット曲を量産。1970年後半から80年代にかけて「今どきの言葉で言うなら『神ってる』」状態になる。「当時は歩いていると道に音符が落ちていたほどだ」という。「それを手にのせて、大事に持って帰って五線譜の上にパッと振りかけると、曲が出来上がる。魔法みたいなものだった」
名声を得て国内外の有名レストランの常連に。食べたいものは何不自由なく食べられるが、一番のごちそうは妻の料理だと気づいた。「ある日はナスを生のままで出す。翌日は煮て出す。その翌日は焼いて。妻の料理の引き出しの多さのおかげで、嫌いなナスが食べられるようになった」
彩り豊か 自宅の食卓
出される料理は色とりどり。茶色の揚げ物の隣には、赤のパプリカのサラダ、白ごはんの茶わんの横には黒のゴマ豆腐が鎮座する。テーブルは単色でなく茶色、赤、白、黒など鮮やかな多色で覆われる。栄養のバランスを考えたもの。「僕に健康であってほしいという強い念力が料理に入っている気がする」と話す。
阿木さんの料理にかける思いは、健康維持だけでなく夫の才能を枯渇させたくないといった気持ちもあるそうだ。お互い作詞・作曲家としてずっと仕事をしていくための心遣いといっていいだろう。そこまで心を配ってくれるのだから仕事はしっかりやらなきゃと、おのずと思えてくる。
「作曲したらまず妻に聴いてもらう。『ピンとこない』と言われたらやり直し。70歳を過ぎてからは『これが遺作になるかもしれないよね。遺作になっていいの?』に変わった。誰からのプレッシャーよりも厳しいですよ。これまでの成功にあぐらをかけないですね」。2人は音楽家として切磋琢磨(せっさたくま)しあう。そこに、いわゆるおしどり夫婦の風景はない。
2月に71歳に。生涯現役ロックンローラーとしてステージに立ち続ける覚悟を決めた。最近は道で音符を見つけるのに時間がかかり始めたものの、1日1曲作るルーティンは欠かさない。七色にも輝くこともある食卓を囲みながら夫婦の二人三脚は続く。
締めはウナギのリゾット
妻の阿木さんらとよく行くのが、東京・赤坂の「LOUIS PRIMA(ルイ・プリマ)」(電話03・3408・4066)。料理は店主の高山栄一郎さん(51)に任せるが、締めは「ウナギのリゾット」(2680円)と決めている。
湯引きしたウナギをリゾットの間に挟み、バルサミコソースをかける。濃いめの味も、まぶしたユズが隠し味となり、思うほどくどくない。「和と洋がコラボするどこにもない料理」と高山さん。
店内は個室がないため、宇崎さんらは空いている席で楽しむ。周りのお客も、騒いで場の空気を乱さない。そんな大人の雰囲気が魅力的だ。
「宇崎さんは肉を中心にたくさん食べます」(高山さん)。店の料理は精力的なコンサートの活力源になっている。
最後の晩餐
妻の手料理しかないでしょう。彼女はどんなに忙しくても、家にいたら「死んでもごはんを作る」という料理好き。僕の創作活動が順調なのも、彼女の食を通じた健康管理のおかげ。和洋中なんでもいいから、今まで食べたことのない創作料理を食べて死にたいですね。
(保田井建)
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