東京屈指のターミナル、池袋駅。東口に西武池袋線と西武百貨店、西口に東武東上線と東武百貨店があることから、「東が西武で西、東武」と歌われたこともある不思議な駅だ。東と西はなぜ、ねじれたのか。その理由を探っていくと、東西それぞれ、絡み合う複雑な歴史があった。
東上線は「東京と上州を結ぶ」の意味
池袋駅にはJRのほか、西武鉄道の池袋線と東武鉄道の東上線が走っている。西武と東武はいずれも1日の乗降客数が50万人程度と両社最大のターミナルだ。
西武池袋線がJR池袋駅の東側に、東武東上線が西側に接続していることがねじれを生んだわけだが、ではなぜ名前とは違う側に駅を設けたのか。
西武と東武のうち、先に駅を造ったのは東武。正確に言うと東武東上線の前身、東上鉄道で、1914(大正3)年のことだ。「東上」なのになぜ西側?
実は、東上鉄道の「東」は東京で、「上」は上州=群馬県なのだ。東の上、つまり北東方面に向かうのではなく、群馬のある北西方面に向かうわけで、おのずと駅は西側にできた。
では西武はなぜ東側に? こちらも東武同様、前身となる会社があった。その名も武蔵野鉄道。東上鉄道に遅れること1年。空いていた東側に駅を設けた。最初は「東は武蔵野」だったのだ。
話はこれで終わらない。さらに資料を調べていくと、両社とも池袋を起点とは考えていなかったことがわかった。池袋が東京屈指のターミナルになったのは、偶然が重なった結果だった。
まずは東上鉄道から見ていこう。