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ピアニスト上野優子 リスト超絶技巧への旅

2017/6/24

 ピアニストの上野優子さんが「リストの系譜」と呼ぶシリーズ公演を続けている。フランツ・リスト(1811~86年)はハンガリー出身のドイツ系作曲家で当時最高のピアニスト。ピアノ作品は難曲ぞろいだ。一方で後年は僧職に就いた人物でもあり、派手な超絶技巧の裏に宗教性や内省がにじむ曲も多い。リスト作品の深い精神性と人脈をたどる演奏活動について聞いた。

弟子や孫弟子の作曲家を含むリストの系譜を探究

 6月8日朝9時、東京・銀座の山野楽器本店。開店前の楽器売り場に豪壮なピアノが鳴り響いた。上野さんはベーゼンドルファーのグランドピアノに向かい、リストの難曲の一つ、「死の舞踏――『怒りの日』によるパラフレーズ」を練習していた。自宅にピアノが2台あるが、後進の指導に当たっている昭和音楽大学を含め「いろんな場所で練習している。この店にもよくお世話になっている」と上野さんは話す。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」のテーマが低音域で重厚に提示された後、非常に速いアルペジオ(分散和音)や跳躍、音域の広いグリッサンド(滑奏音)など、あらゆる奏法のオンパレード。「鍵盤の魔術師」と呼ばれ、超絶技巧で鳴らしたリストらしい作品だ。

リスト「死の舞踏」を練習するピアニストの上野優子さん(6月8日、東京・銀座の山野楽器本店)

 「超絶技巧練習曲」「パガニーニによる大練習曲」「ハンガリー狂詩曲」など、高度な演奏技術を要するリストのピアノ曲。上野さんもさぞかしリストの難しい曲に傾倒してきたのだろうと思いきや、「私は超絶技巧を志向するタイプではない」と言う。「演奏技術にばかりとらわれていると作品の芸術性が損なわれてしまう」。むしろ作品の中にある深遠な精神性や宗教性、内省的な面を追究し、さらには弟子や孫弟子、彼が尊敬していたベートーベンらほかの作曲家の作品も含め、「一つの幹のようになっている」という「系譜」を探りつつ、リストの本質に迫ろうとしている。

 こうしたアプローチをまず具現したのが、2015年に出した彼女の2枚目のCD「リストをめぐる作曲家たち~ボルトキエヴィチ、バルトーク、ジロティ」(発売・販売:レグルス)だ。このCDに収めたリストの原曲は、有名な「愛の夢 第3番」を含む「愛の夢-3つのノクターン」のみ。リストがピアノ独奏用に編曲したモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス ロ長調」のほか、ジロティ編曲のバッハ「プレリュード ロ短調」、それにボルトキエヴィチとバルトークの作品が並ぶ。一見どんなつながりか分からない。ジロティはラフマニノフのいとこでリストの高弟の一人。ボルトキエヴィチとバルトークは孫弟子であり、いずれもリストの系譜を形成する作曲家たちだ。

孫弟子のボルトキエヴィチから関心が強まる

 特にボルトキエヴィチは日本ではまだあまり知られていないが、上野さんは08年のデビューCDにも彼の作品をレコーディングし、演奏会でもたびたび取り上げるなど、傾倒ぶりを示してきた。ボルトキエヴィチは1877年にウクライナにポーランド貴族の息子として生まれた作曲家兼ピアニストで、ドイツのライプツィヒ音楽院でリストの弟子に師事した。第1次世界大戦では敵国ロシアの出身としてドイツから強制退去させられ、続くロシア革命で祖国の財産を失い、オーストリアに亡命した。さらにはナチスの台頭とともにロシア出身として迫害を受けるという波乱の人生を送った。1952年にウィーンで没した。

上野優子さんの2枚目CD「リストをめぐる作曲家たち~ボルトキエヴィチ、バルトーク、ジロティ」(発売・販売:レグルス、2015年)ジャケット写真=(c)Akira Muto

 2015年のCDに収めたボルトキエヴィチの「ピアノソナタ第1番ロ長調作品9」と「エレジー嬰ハ長調作品46」は、ショパンやラフマニノフを思わせるロマンチックな曲調。後期ロマン派の残り香ともいえる、20世紀初めの美しい作品だ。現代風の哀愁やヒーリングの雰囲気さえ漂わせつつ、彼女のアルバム全体を聴きやすくしている。

 上野さんは幼稚園から大学まで一貫して桐朋学園に通い、同大学2年次に「違う世界で自分を試してみたい」と考え渡欧。イタリアの名門、イモラ国際ピアノアカデミーに入学した。「イモラにはよく指が回るピアニストが世界中から集まっていて、高度な演奏技術が必要なリストの作品は最も人気があった。みんながリストの『ピアノソナタ ロ短調』を課題曲として弾きたがるから、演奏禁止令が出たくらい」と振り返る。リストの作品を弾けるのは当たり前という環境の中で「特に弾きたいとも思わなかった」。

 しかしイモラでの恩師でウクライナ人のレオニード・マルガリウス氏からボルトキエヴィチの作品の音源を聴かせてもらったことを機に、見方が変わった。ボルトキエヴィチの作品を弾くようになったのと合わせて、彼がリストの弟子に師事していたという事実から、リストへの関心も強まったという。19世紀最高の人気ピアニストとして脚光を浴び、欧州を席巻したスーパースターというのがリストの一般イメージだろう。だがその一方で「彼は自分に教わりたいという者を拒まず受け入れた教師であり、鍵盤の魔術師というよりも人間愛にあふれる人だった」と上野さんは指摘する。さらに彼女はリストが活躍したフランスに移り、名門のパリ・エコールノルマル音楽院のピアノ科と室内楽科でコンサーティスト課程ディプロムを取得した。

ピアニストの上野優子さん(左)と、共演したオーボエ奏者の中村あんりさん(6月17日、東京・銀座のヤマハ銀座コンサートサロン)

 リストは侯爵夫人との結婚が認可されなかった後、修道院に入り、神父服を身にまとうようになったという。カトリック信仰の強さはオラトリオ「聖エリーザベトの伝説」「キリスト」や合唱曲「十字架への道」などの宗教作品からもうかがえる。スーパースターの華やかな面にとらわれすぎると、人間愛や信仰心にあふれる作曲家の本質をつかめない。アクロバティックな超絶技巧の難曲とはまた異なる、繊細で美しい内面世界。リストの「愛の夢」をはじめ、彼女のCDからはそんな音の心象風景が広がる。

 15年から始めた「上野優子 with Friendsリサイタルシリーズ リストの系譜」は、このCDのコンセプトを室内楽作品にまで広げ、ゲストとの共演も盛り込みながら、様々な角度からリストとその人脈の音楽に迫っていく演奏会だ。6月17日にヤマハ銀座コンサートサロン(東京・中央)で開かれた同シリーズ第3回では、リスト「死の舞踏」のピアノ独奏に加え、オーボエ奏者の中村あんりさんとサン=サーンスやラヴェルの作品を共演した。

交響詩の創始者らしいスケールの大きいピアノ曲

 今回の映像では、リサイタルに向けて、山野楽器本店のショールームで上野さんが「死の舞踏」を練習する様子を捉えている。超絶技巧の先にあるリストの精神性を追究する上野さんだが、この曲についていえば、超絶技巧の固まりが巨大な岩盤となって立ちふさがるような作品だ。もともとはピアノとオーケストラによるピアノ協奏曲風の作品だが、リスト自身がピアノ独奏用に編曲した。それだけに管弦楽の重層的な響きもピアノ1台で表現しなければならず、「大変なパワー、体力が必要。肉食系女子でないと弾くのは難しいですね」。曲調はデモーニッシュ(悪魔的)だ。どこまでも極端に突き抜けていく怪物風の性格がある。それにテーマは死。「誰にも平等に訪れる死とのかかわりを扱っている」と説明する。

ボルトキエヴィチの作品を練習するピアニストの上野優子さん(6月8日、東京・銀座の山野楽器本店)

 6月17日の本公演では上野さんが1曲目として「死の舞踏」を独奏した。満席のヤマハ銀座コンサートサロンに冒頭の「怒りの日」のテーマが大音量で重層的に鳴り響く。全体に速めのテンポで進んでいくが、当初から音が強いため、高速のパッセージで微妙な変化を付けたいところでは表情付けに苦心する場面もあった。そもそもが超絶技巧続きの曲であるため、弾きこなすだけでも大変なことなのだが、デモーニッシュに歌い上げるのはさらに困難であることが分かる。音数が多くて大音量のリストの難曲は、複数の音が混濁しがちだ。しかし、速い場面が続く後半には彼女の演奏は持ち直し、悪魔的な歌の流れが良くなった。アルペジオの一音一音が明快さを増し、終結部の盛り上がりを演じきった。公演で弾きたがらないピアニストが多いこの難曲を、1曲目に持ってくるだけでも勇気が要る。表現上の困難さはあったものの、彼女の指は一貫してよく回っていた。「リストの系譜」をたどり続けるピアニストにふさわしい選曲だった。

インタビューに答えるピアニストの上野優子さん。聞き手は池上輝彦(6月8日、東京・銀座の山野楽器本店)

 大編成のオーケストラのようにダイナミックに鳴り響くピアノ曲は、リストが交響詩というロマン派音楽の新形式を創始した作曲家であることも示しているだろう。交響詩とは単一楽章形式の詩的・絵画的管弦楽曲で、叙事詩や戯曲から題材を取った内容を持つ標題音楽が多い。リストは13曲の交響詩を書いた。「人生は死への前奏曲である」というラマルティーヌの詩を題材にした「前奏曲」、ゲーテの戯曲に基づく「タッソー、悲劇と勝利」、ユゴーの叙事詩に触発された「マゼッパ」、カウルバッハの壁画から着想した「フン族の戦い」などが有名だ。

 ピアノのイメージが強いリストだが、交響詩のほかに「ファウスト交響曲」「ダンテ交響曲」という大作もあり、実はベルリオーズと並ぶ管弦楽曲の大家でもあった。しかし日本でのリストの交響詩や交響曲の演奏頻度は高くない。管弦楽曲の分野ではチャイコフスキーやリヒャルト・シュトラウスらに比べ過小評価されているのが実情だ。上野さんは管弦楽曲への関心も強く、好きな曲にショスタコーヴィチの大作「交響曲第7番《レニングラード》」を挙げるほどだ。彼女が「スケールの大きさが必要になる」と指摘するリストのピアノ曲の響きは、一大スペクタクルの交響詩も書いた作曲家としてリストを意識してこそ、出せるのかもしれない。

プロコフィエフのピアノソナタ全曲公演も始める

 作曲家の意外な面をあぶり出すピアニストとして、上野さんが新たに挑むのが、得意のセルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953年)の「ピアノソナタ」全10曲シリーズ公演だ。すみだトリフォニー小ホール(東京・墨田)で12月13日から「プロコフィエフ・ソナタ全曲シリーズ」と称して始める。1年から1年半の間隔で全6回を予定し、スタインウェイ、ファツィオリ、ベーゼンドルファー、カワイ、ベヒシュタイン、ヤマハと、毎回異なるメーカーのピアノで弾くという趣向も凝らす。「最終的にはプロコフィエフのピアノソナタCD全集をつくる」考えだ。

 プロコフィエフは20世紀の政変や戦争に翻弄されたロシアの作曲家。米国に亡命し、フランスに移り、ソ連となったロシアに戻り、スターリンと同じ日に亡くなった。リストのように各国を巡り、ボルトキエヴィチのように放浪を余儀なくされた。「性格に問題があったともいわれ、正当に評価されていない面がある」と上野さんはプロコフィエフについて語る。彼のピアノソナタ全集を出しているピアニストは少ない。リストもプロコフィエフも有名ではあるが、知られざる面が多々ある作曲家。歴史好きの上野さんは彼らの譜面から史実に迫り、音楽のいまだ聴かれざる響きを引き出していくだろう。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)

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