「母は出家します」 看護師であり僧侶、治癒への祈り

中国では勉強の合間にあちこちへ放浪の旅に出て、かつて玄奘三蔵が経典を求めてインドに向かったルートの一部も歩きました。タクラマカン砂漠の大地に立ち、あちらこちらから竜巻が上がっている光景を見たときに「ここは来たことがある。やはりそうだったんだ」と、確信に近いデジャブ(既視感)が押し寄せてきたといいます。

その後、西安まで行き、たまたま訪れた青龍寺がなぜかとても気に入って、1週間も滞在しました。しかし留学から戻った後は、法学部を予定通り卒業して弁護士事務所に就職。その後結婚し、出産してからは中国での体験を思い出すことはほとんどありませんでした。

生まれた長男には強いアレルギー症状があり、専門知識に基づいたケアが必要でした。憂子さんは「それなら、息子専属の看護師になろう」と本格的に看護の勉強を始め、長男が6歳のときに看護師の資格を得ました。幸い、長男は小学校に上がるころには体力がつき、アレルギー症状もかなり良くなっていました。憂子さんは「せっかくだから働こうかな」と、看護師として就職。30歳とやや遅めのスタートでした。

看護教員として指導も手がけ、「楽しく仕事を続けていた」という憂子さん。ところが40代の半ば、夫ががんにかかります。いったんは克服したものの、再発。写真家だった夫は、残された時間で仕事の整理をやり遂げたいと考えたのでしょうか、「入院はせずに家にいたい。治療もしない」と強く希望しました。看護師である憂子さんは「医療的にやれることがたくさんあるのは分かっているのに」と葛藤しましたが、夫の希望を受け入れ、最後の半年間は休職して夫の看護に専念しました。

夫をみとった後、一大仕事を終えたという気持ちとともに、すっかり忘れていたタクラマカンの砂漠の光景がよみがえってきたといいます。「何か、やるべきことはひととおりやり終えた、と思えたんですね。ならば本来のやるべきことに戻ろう、という気持ちが強くなりました。それが出家だったのかなと思います」

休職していた職場に戻って上司にまず告げたのは「復職します」ではなく「出家します」という言葉でした。最初は驚いていた上司も、「出家するなら親戚に僧侶がいるので紹介しましょう」と言ってくれて、そのつてで入信したのが高野山真言宗でした。

それまでは仏教の宗派についてもほとんど知らなかったといいますが、学生のときにとても気に入ってしばらくとどまった西安の青龍寺は、まさに真言宗の開祖である弘法大師空海が、真言八祖の一人である師の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教を伝授された場所。不思議な縁を感じたといいます。

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医療と祈りが出合う場で働く