作家・辻村深月さん 父から受けたサブカル教育
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は作家の辻村深月さんだ。
――両親は共働きだったとか。
「父は役所勤め、母は保健師という家庭で育ちました。オーディオマニアの父は私の初めての沐浴(もくよく)を、発売直後のビデオカメラで撮影したほど。映画やテレビドラマ作品もそろっていて、小学生になると父のビデオを勝手に見始めました。私が見たら同じ作品の別の俳優版をいつの間にかそろえてくるんです。『007』シリーズや横溝正史の『悪魔の手毬唄(てまりうた)』や『犬神家の一族』を見たおかげで、世代を超えて多くの人と共通言語で話せるようになりました」
――作品を通じた父親とのやりとりは続きましたか。
「中学生になると、父がゲームにはまり、いろんな機種で一緒に遊びました。ところが私の視力が落ちて、母が禁止したのです。明日から遊べなくなると思っていたら、父が『ここに隠してあるから、絶対見付からないようにやれ』と。こっそり遊び、車の音が家に近づくと慌てて隠していました」
「私の世代のクリエーターは映画や小説、アニメ、ゲームから等しく影響を受けています。小説家の仕事を選んだのは小説だけを読んでいたからではなく、元手も絵心も協調性も不要だったから。この仕事に就いたのは、父の娘だったからだと思います」
――お母さんは小説家になることに賛成でしたか。
「大学卒業後は山梨に戻り、母の希望で試験を受けた先に就職、5年ほど働きました。『小説をやりたいのは知っているが、実家に戻れば地に足を着けたうえで夢を見られるじゃないか』と。仕事になるとは思っていなかったのでしょう。いざ実家に帰ると、母は応援する感じでもなかったです。父は投稿に使うプリンターのインクや紙を、無言で補充してくれましたが」
「父からサブカルチャー分野の多くを学びました。一方で母の禁止があったから、私はゲームで遊び、本を読んだのです。両親でバランスが取れていたと思います」
――作家デビュー後の両親の反応はどうでしたか。
「デビュー作は父に贈りました。メフィスト賞をとると父から『プレゼントがある』と。私が受賞した31回より前、初回から30回までの全作品です。出張先や古書店で買い集めたようです」
「直木賞受賞後、母の友人から母に『さすが文学少女の娘ですね』とはがきが届きました。母も若い頃、小説を書いていたとその時知ったのです。母は本を読む楽しさを分かっていたからこそ、遊びと思っていい顔をしなかったのだと気付きました」
「里帰り出産後、母が『保育園は申し込んだ?』と言いました。仕事を続けていた母が、小説を書くのを仕事と認めて、私の背中を押してくれていると実感しましたね」
[日本経済新聞夕刊2017年6月13日付]
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