清宮君、日本ハムが交渉権 スター選手育てた早実の今

「清宮君はもともと優秀。初等部出身で成績は問題ないと聞いています」と藁谷校長はいう。早実の村上裕二常任理事・事務部長は「硬式野球部の顧問の教員がグラウンドのクラブハウスで、生徒たちの勉強の面倒を見たりしています。清宮君は何事も納得するまでやる性格で、数学もこだわる、考え抜く。自分が理解したら、クラブハウスの黒板に書いてみんなに教えたりするそうです」。清宮選手は主将だが、クラスでは学級委員に相当する組長も務めている。野球部のメンバーにはグラウンドに向かう電車の中でノートを開く生徒もいるという。

「何事も納得するまでやる性格」と評される清宮幸太郎内野手

早実出身で早大野球部の加藤雅樹選手。東京六大学野球で首位打者にも輝いたが、「加藤君も成績優秀で、どの学部に行くか最後まで悩んでいた。学業と部活動の両立を考えて、カリキュラムの自由度の高い社会科学部を選択した」という。以前の早実はバンカラな体育会系のイメージだったが、随分と変わったようだ。

卒業生にテリー伊藤ら、個性豊か

早実は1901年に大隈重信が創立したが、早大の付属校ではなく、別法人の系属校だ。かつては商業科もあり、「街の商店や自営業者の息子のほか、アジア出身で外国籍の生徒もいた。庶民的な学校だった」(早実OB)。タレントのテリー伊藤氏、音楽プロデューサーの小室哲哉氏、「ゾゾタウン」のスタートトゥデイ創業者の前沢友作氏など芸能や実業分野で活躍する個性的なOBも多い。「授業をさぼってバンドに明け暮れた」(前沢氏)など快活な青春時代を送った。荒木大輔氏の同級生だったメルセデス・ベンツ日本社長の上野金太郎氏は、「趣味のカートやバイトばかりやっていたが、野球部など体育会系の連中ともワイワイやっていたし、今もみんなと仲がいい」という。

四半世紀前まで、早大への進学率は6~7割だったが、徐々に上昇。「早大進学率は約97%。医学部や海外の大学に行く生徒以外は基本的に全員早大へ進学します」(村上事務部長)。ただ、推薦基準を満たせなかった生徒数名が留年する年もあるという。

2001年の創立100周年を機に早実は国分寺に移転。02年に男女共学に移行するとともに、初等部が誕生して小中高の一貫制になった。初等部、中等部、高等部それぞれ1学年の定員は108名、225名、405名。私立の男女共学校としては、高校の一般入試の偏差値は都内でもトップクラスだ。

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