STORY DoCLASSE vol.1

パートから店長指導者へ
人生を変えた創業者との出会い

DoCLASSE the Store 事業部
西田 有希さん

「お茶を飲みながら意見を聞かせてほしいと言われたんだけど、行ってみない?」。友人からの誘いが、西田有希さん(54)の人生を大きく変えた。衣料品通販を手がけるドゥクラッセ(東京・世田谷)でコールセンターのオペレーターに。その後、店長に就き、今は店舗の運営指導、人材教育を担うスーパーバイザーとして全国を飛び回る。格好良く、活気あふれる店にするために。

素敵な服と社長にひかれ入社

「実年齢で輝く」をテーマに、40~50代女性から高い支持を集めるドゥクラッセ。創業者の林恵子社長(58)は米アパレル企業の日本支社長などを務めた後、20代から心に秘めていた起業を実現したパワーみなぎるビジネスパーソンだ。一方の西田さん。「仕事は好きだけれど、優先するのは家庭。子供が帰宅したら『おかえり』と迎えてあげたい」と、パートタイムで働いていた。

Nishida-52.jpg_750x481.jpg
座談会に参加したことがきっかけとなり、ドゥクラッセにかかわるように

2人の女性は2007年、ドゥクラッセ立ち上げの半年前に巡り合う。どのようなカタログなら心ひかれ、商品を買ってみようと思うのか。林社長が自宅の近所に住む女性を集めた座談会に、西田さんも参加した。面識はなかった。ただ、林社長の家は気になっていた。「オーラがあり、不思議な雰囲気に包まれていた。どんな人が住んでいるのか興味があった」。座談会は終始和やかなムードで、お茶とケーキを楽しみながら、約10人の女性が「これはいいわね」「こっちはいまいちね」など感想を述べあったという。

半年後、西田さんは友人から再び誘いを受ける。「彼女、本当に会社を立ち上げたのよ。カタログを配布したんだけど、かかってきた電話をとるオペレーターがいなくて。たぶん電話は鳴らないと思うけれど、手伝ってくれない?」

自宅オフィス.jpg_480x401.jpg
創業当時、林社長の自宅のガレージがオフィス兼コールセンターだった

近くの個人病院で午前と午後3時間ずつ働き、昼間は自宅に戻って家事。下の子供が帰宅する前には家にいるようにしていた。休日には自宅でピアノを教える。「これ以上割ける時間がないので、『代わりに大学生の娘はどう?』と言って、娘を送り出した」

さらに2カ月が過ぎた頃、人手が足りないから来てほしいと請われると、今度は参戦した。「商品が素敵だったし、社長の明るさにひかれ、一緒に仕事をしたくなって」。オフィスは林社長の自宅のガレージ。隣では社長自らオペレーター役をこなしていた。マニュアルはなく、言われたのは「かかってきた相手が自分の親友だったらどう応対するのか。それだけを心がけてくれたら何してもよい」とだけ。電話がかかってこなければ、自宅に帰ることも。最初は不安もあったが、働き始めると楽しく、やりがいがあった。

開店2週間前の店長打診

月日は3年が過ぎ、鳴り響く電話の応対に追われる忙しい毎日になっていた。思うところあり病院の事務を辞め、仕事はオペレーター一本に。ちょうどその直後に林社長が世間話でもするかのように声をかけてきた。

「私、店をやりたいと思っているの」
 「そうなんですか」
 「やってくれる人いてないんやけど、有希さんやってよ」
 「私がですか? アパレルの店長はもちろん、商売もしたことないですよ。レジを打つことぐらいしかできませんよ」
 「大丈夫、いいねんいいねん。誰も経験がないからいっしょ。やって。何時に店を開けても、何時に閉めてもいいから」
 「で、いつ開店するんですか?」
 「11月13日」
 「あと2週間しかないじゃないですか」

まるでコントのようなやりとりが交わされながらも、西田さんの就任は揺るがなかった。店は事務所兼コールセンターとして借りていた東京都目黒区の建物の一画で、広さは33平方メートル。通販カタログに掲載している商品を「この目で見たい」と望む顧客が主な対象となるショールーム的な位置づけだった。「だったら電話なのか対面なのかの違いだけで、これまでとあまり変わらない」と感じた。「売り上げを増やし、もうけるなんてあまり考えず、気楽に引き受けた。今ならやりますと言えなかったかもしれない」。怖いもの知らずだったのだろう。

Nishida-17.jpg_480x320.jpg
店長を始めたころは「ジェットコースターに乗っているような毎日だった」

どうやってもいい。そう説得した林社長だが、2つだけ西田さんにミッションを課す。コールセンターと同じように、お客様を親友と思い、喜ばせることを考えてほしい。そして「1日10枚売ってくれたらいいわ」。コールセンターにいるオペレーターに臨時で店舗スタッフに入ってもらい、予定通り2週間後に開店する。カタログ掲載品を確かめに最寄り駅から歩いてくる人や、犬の散歩ついでにふらっと立ち寄る人。当初は来店客とコーヒーを飲みながら雑談することも多かった。「今から考えると優雅だった」と笑う。

店舗オペレーションは一から整えた。たとえば在庫補充。最初は通販の顧客として店舗を登録し、一般客と同じように1枚ずつ発注していた。これでは手間がかかりすぎるため、まとめて発注できるシステムをつくってもらった。代金を二重に請求して叱られたこともある。課題にぶつかるたび、どうすることがお客様にも会社にもメリットをもたらすのか、考えを巡らせた。当時を振り返れば「ジェットコースターに乗っているような毎日」。それでも1日10枚と言われた目標を大きく上回り、20~30枚、多いときには80枚を売り切る人気店に成長した。「人を喜ばせるのが根っから好き。お客様と話しているときが最も楽しく、面白かった。もっと喜ばせたい、そうすれば店ももうかると思いながらやってきた」。純粋な気持ちが結果に結びついたのは間違いない。

西田さんの物語はここからまた発展する。店長をしながら店舗オペレーションを指導。販売スタッフを確保するため、店舗事業専門の人事組織を設けるなど、多店舗化に向けた体制も整えていった。店舗数が12を数える頃になると、各店の運営とスタッフ教育などを専門に手がける「スーパーバイザー」が求められるようになり、西田さんが自然とその職に就くことになった。販売の経験などなかった女性が企業の成長とともに店長となり、オペレーションを組み立て、そして店舗を束ねる役職に。「オペレーターの仕事をパートでしながら、1年に何回か旅行に出かける。そんな人生設計かなとなんとなく考えていた。こうなるなんてまったく想像していなかった」

Nishida-22.jpg_750x448.jpg
店舗と本部のつなぎ役としてスタッフの意見を集める

格好良く、活気ある店目指す

「前世は商売人だったのかもしれない。才能があるかどうかは分からないが、接客という仕事は楽しい」。そう話す西田さんだが、経験を重ね、重い責任を与えられるとともに、怖さをひしひしと感じた。接客、運営、スタッフの指導。マニュアルなどない中で、一つ一つ考えてきた。「自分ではこれがベストと思っているが、本当に正しいのか、疑問も頭をよぎった」と打ち明ける。企業規模が大きくなり、ビジネスに深くかかわればかかわるほど、課題がいくつも生まれ、解決を急がなければならなくなる。悩むことも増えたが、それを上回る充実感がある。「私は今が働き盛りなんです」。そう力をこめる。

IMG_6014.jpg_480x255.jpg

販売スタッフにはお客様に喜んでもらうことが重要と繰り返す

現在、西田さんは店舗指導のほか、経営陣とエリアごとに7人いるスーパーバイザーのつなぎ役として、互いの要望をすり合わせる役目も担っている。全国に32ある店舗に足を運び、店長などを対象とした研修で講師にも立つ。販売スタッフにはこう声をかけている。「お客様に喜んでもらうことが売り上げに、もうけにつながる。そうすれば事業を広げられ、もっと多くの方に喜んでもらうことができる」と。

各地の店は販売力がつき、お客様を喜ばせることで結果的に売り上げが増える「よい循環」ができてきたと実感している。それでもまだレベルを引き上げたいと願う。たとえば接客時間。来店客が増え、1人の方にスタッフが割ける時間は限られるようになった。それでも、これまで以上にお客様に喜んでもらう方法を探してほしいという。

スタッフ一人ひとり洗練された立ち振る舞いをする。忙しくても笑顔を絶やさず、活気がある店にする。今後1年でこれをやり遂げたいと意気込む西田さんは、要である店長を中心とした研修に、各店舗での指導に、さらには人材確保に駆け巡る。

Nishida-28.jpg750x500.jpg
店の要は店長。指導にも力が入る

理想とする体制を整えるまでに、まだまだ課題は出てくるとみる。「全国を飛び回る日々は5年後も変わらないかも」。創業者との出会いによって大きく人生は変わった。「子供は『こんな機会をもらってよかったね』と言ってくれる」。旦那様は? 「不満かも。家に奥さんがいて、座れば食事が出てくる家庭が当たり前と思っていたから......」。西田さんはほほ笑んだ。

会員登録すると、イベントや交流会への参加、メールマガジン購読などご利用いただけます。