お笑い芸人・ゴルゴ松本さん 産んでくれた母に感謝
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はお笑い芸人のゴルゴ松本さんだ。
――4人兄弟の次男。のびのび育ったそうですね。
「埼玉県の花園町(現深谷市)という田舎で生まれました。木の根っこをつかんで崖を下りたり、荒川で泳いだりと、自然が遊び場でした。両親は商店を切り盛りして、僕も帰宅したら兄と一緒に自動販売機に缶ジュースをガチャガチャと補充していました。目立つことが大好きで、小学生の頃から面白かったテレビ番組や先生の物まねをして、友達を笑わせていました」
「次男なので両親は悪く言えばほったらかし、よく言えば僕の自主性を尊重してくれました。4人の子どもを食べさせていくため、必死に働かざるをえない側面もあったのですが。熊谷商業高校3年生の春、所属する野球部で甲子園に出場したのですが、僕はベンチだったので打席に立てませんでした。でも『人は人、自分は自分』と言い聞かせてその後も猛練習に打ち込みました。結果的に、強い人間に育ったと思います」
――お父さんは3年前に亡くなり、お母さんだけになりました。
「僕は高校卒業後、家の手伝いをしました。でも芸能界への思いを捨てきれず21歳の時、上京を決意しました。父は『おまえの人生なんだから好きにしろ』とひと言。ただ母は自分の産んだ子が東京に出ることに驚いていましたね。何しろ母本人が働きづめで花園町以外の世界を知らなかったのですから」
「お笑い芸人として31歳になって成功しました。それまでは極貧生活。そんな時、母から『いやになったら帰ってくればいいから』とよく電話で言われました。ありきたりな言葉かもしれないけれど、身にしみましたし、励みになりました。家族は大切にしなければと痛感しました」
――「命」と両手を広げて一本足で立ちながら叫び、漢字の「命」を体で体現する独自のギャグが有名です。
「人文字ギャグを通じて、漢字の成り立ちを勉強するようになり、漢字を使ったいい話を後輩のタレントや少年院で披露しています。例えば命の始まりの『始』は女偏に『台』と書きます。女性という土台から生まれるのが命。命をつなぐのは女性なんです。しかも女性は命懸けで出産します。母は偉大です」
――親孝行をしていますか?
「働いて、料理をして、僕の泥だらけの野球のユニホームも毎日しっかり洗ってくれた人ですから、電話だけは欠かしません。家業は兄が継ぎ、母は足腰が弱くなったものの悠々自適の毎日です」
「2年前の正月、母と秩父の宝登山にある神社に行きました。結婚後、母にとって初めての初詣。喜んでいましたよ。これからも旅行に連れて行きたい。いつも心の中で『僕を産んでくれてありがとう』と言っていますよ」
[日本経済新聞夕刊2017年6月6日付]
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