「和製テスラ」 助けた元ソニー会長とトヨタマン
GLM社長 小間裕康氏(下)
休眠していた祖父の会社を使い、学生時代に演奏家派遣会社を立ちあげた電気自動車(EV)ベンチャー、GLMの小間裕康社長。国内外のファンドやベンチャーキャピタルから多額の資金調達ができるようになった今も、心に残る祖父の言葉があるという。小規模ながら会社経営の経験もあった祖父の教えとは?
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子どもの頃はおじいちゃん子でした。毎年のように旅行に連れて行ってもらっていました。
祖父はその頃、建設関係の会社を経営していました。祖父の兄が創業したそうですが、大きな借金をつくってしまい、知らぬまに名義が書き換えられていた。そのまま閉じることも検討したようですが、祖父は「自分の名義になった以上、借金はきちんと返す」と言って、会社を続けることを選択。私が生まれる頃にはすでに借金を完済し、事業は軌道に乗っていました。
実家の近くに祖父の会社がありましたので、「社長」「番頭さん」「実際に作業する人」、それぞれの役割があって会社が回っているのを、幼心に見ていたのは大きかったかもしれません。結局、1995年に起きた阪神大震災をきっかけに祖父は会社を休眠させました。
今も心にある、実業家だった祖父の教え
私が今も心に留めている祖父の言葉があります。
派遣事業をしていたときのことです。スタッフが派遣先で悪さをして、会社の信用を落としてしまった出来事がありました。祖父に言えばなぐさめてくれるかなと思ったのですが、反対に「お前に徳が足りないから、そういうことになるのだ」と怒られました。
「臭いものには蝿(ハエ)がたかる。いいものには蝶(チョウ)が来る。お前がいいものにならないと、結局、事業はうまくいかない」と言われまして。徳を積み、人間としての器を広げていかないといい会社運営はできないのだな、と痛感しました。
マスコミではよく「和製テスラ」と表現され、その創業者であるイーロン・マスク氏と比較されますが、私には彼のような派手さはなく、あまり無理をしないタイプです。基本的に、余裕がない事業はしてはいけないと思っています。
学生時代、時間の余裕があったから事業を始めた。それである程度の資金がたまったから、それを元手に車をつくろうと考えた。ある種、「わらしべ長者」のように事業を展開してきた、と思っています。