でも、逆に、すごくワクワク感が出てきました。すでに市場があるとすれば、それは誰か別の人がもうビジネスを行っているということなので、競争する必要が出てきます。でも、市場がないということは、自分たちで市場をつくり、一番乗りできるので、大きなチャンスと捉えたのです。どのようなビジネスモデルになるかは分からない、けれども、必ず市場をつくることができる、そう思いました。
現在では明確なビジネスモデルがあります。これまでの人工衛星の運用イメージは、大きな人工衛星を1基打ち上げ、その衛星が東京上空を1日2回通って写真を2回撮るというイメージです。しかし間もなく、一度に数百基、数千基という数の人工衛星を打ち上げ、地球全体を24時間カバーする「メガ・コンステレーション」の時代がやってきます。
大量に衛星を打ち上げると、一定の割合で壊れる衛星が出てきます。壊れたら直ちに代替機を打ち上げなければなりませんが、1社が打ち上げることができる衛星の総数は決められている上、壊れた衛星と同じ軌道に打ち上げなければ意味がないので、どうしても壊れた衛星が邪魔になります。そこに、お金を払ってでも壊れた衛星を除去したいというニーズが生まれるのです。
振り返ってみれば、今こうしてスペースデブリのビジネスに携わるのも、甲陽学院時代に深めた環境問題への関心が、無意識のうちに私自身の考えや行動に影響しているのかもしれません。
また、甲陽時代に参加した米航空宇宙局(NASA)のプログラムは、間違いなくその後の私の人生を大きく変えました。毛利衛さんからいただいた、「宇宙は君達の活躍するところ」という手書きのメッセージは今でも大切にしています。事業の本格スタートはこれからですが、宇宙で活躍するためのスタート地点には来ていると思います。
(ライター 猪瀬聖)
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