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夫人(左)とともにコンパニオン勲章の授章式で(キャンベラの総督官邸、2016年4月15日)

世界でもトップクラスの教授陣を誇るビジネススクールの米スタンフォード大学経営大学院。この連載では、その教授たちが今何を考え、どんな教育を実践しているのか、インタビューシリーズでお届けする。今回は2000年代のカリキュラム改革を学長として主導したロバート・ジョス名誉教授の2回目だ。

ジョス名誉教授は、オーストラリアで最も有名な経営者の一人だ。1990年代、最高経営責任者(CEO)としてオーストラリアの老舗銀行を立て直し、2016年にはコンパニオン勲章(民間人に授与する最高位の勲章)を受章。外国人トップとして企業再生に成功した秘策は何だったのか。

話すのは「自分が悩んだ経験」

佐藤:「リーダーシップ概論」は、高度なリーダーシップを身につけるための授業です。どのような内容を教えていますか。

ジョス:リーダーシップとリーダーとして直面する様々な問題について考える授業です。リーダーとして成長を続け、よりよいリーダーになっていくためにはどうしたらいいのかを議論するのです。

授業では様々なリーダーの事例を取り上げます。学生は事前に事例を読んできて、このリーダーについてはどう思うか、どんなことに気づいたかを議論します。私自身が一方的に講義することはありません。時折、私のリーダーシップ経験を話すこともありますが、基本的には学生が主役の授業です。

佐藤:ご自身のどのような経験を話すのですか。

ジョス:自分がとても悩んだ経験を話しますね。たとえば、銀行にいたころは、部下や上司にどんな言葉を使って自分の言いたいことを伝えればいいのか、いつも悩んでいました。

あるいは「周りの人はリーダーの道徳観や価値観を判断するために、行動やボディランゲージをよく観察していますよ」という教訓を、自分の経験をまじえて話すこともありますね。

自分の失敗談を語って、失敗からどう学んだかについても話すこともあります。リーダーシップを学ぶということは、「もっとうまくできたはずなのに」というマインドセットを身につけることなのです。「今度同じようなことが起こったら、こういう違った方法を使って、うまく乗り切ろう」と考えて行動するのがリーダーです。

佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。

佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。

豪州で体験した外国人CEO

佐藤:ジョス名誉教授は、スタンフォードの学長に就任される前、オーストラリア最大の銀行、ウェストパック銀行のCEOを務めていました。CEO時代、最もつらかったことは何でしたか。

ジョス:最も大変だったのは、1993年、CEOに就任した直後でしたね。当時、ウェストパック銀行は問題だらけの銀行でした。オーストラリア史上、最大の赤字を計上していたのです。オーストラリア人CEOは解雇され、アメリカ人の私がCEOとして迎え入れられました。創立以来、初めての「外国人CEO」です。

佐藤:日本企業でいえば、みずほ銀行や三井住友銀行などのCEOに外国人が就任した、というイメージですね。一人で外国に乗り込むのは不安ですから、信頼できるアメリカ人のエグゼクティブを一緒に連れていこうとは思わなかったのですか。

ジョス:そういうことはしませんでした。単身でオーストラリアに赴任しました。最も困ったのは、就任直後、すぐに問題解決にあたらなくてはならないのに、全容をつかむのに時間がかかってしまったことです。「一体何が問題なのか」「どこに再生のヒントがあるのか」「何をやれば赤字が解消されるのか」と考え続けましたが、解決法がなかなか見つかりませんでした。

しかも、私は「初めての外国人CEO」ということでマスコミから過剰な注目を集め、連日のように私の一挙一動が報道されました。オーストラリア国民も、マスコミも、この外国人が一体どうやって赤字銀行を立て直すのだろうと興味津々だったのです。

佐藤:そんなに大きく報道されたのですか?

ジョス:そうです。私に関する記事が、来る日も来る日も写真入りで大きく掲載されました。こんな事態は私の人生で初めてのことで、とても困惑しました。アメリカでは、世の中に顔と名前が知れ渡っている社長というのは、ほとんどいません。街を歩いていても、「あの会社の社長よ」と言われることなどないのです。ところが、オーストラリアでは、誰もが私の顔と名前を知っていました。

佐藤:普通に歩いていると、「あれが、ロバート・ジョスよ!」「あの人、新聞で見た人だ」という感じですか。

ジョス:そうです。映画スターやスポーツ選手と同じぐらい有名になってしまったのです。こうした状況の中で、大きな改革を進めていくのは大変でした。

佐藤:日産自動車のCEOにカルロス・ゴーン氏が就任したときと、同じような感じだったのですね。このような逆境をどのように乗り越えましたか。

ジョス:私自身が、銀行業務に精通していたことが大きなプラスになりました。米ウェルズ・ファーゴ銀行で22年間、様々な業務を経験しましたから、優良な銀行とはどういうものかが、よくわかっていたのです。

オーストラリアやオーストラリアの慣習については何も知りませんでしたが、銀行業務については誰にも負けない経験と知識がありました。ですから、問題や課題を見つけ出すのは比較的、簡単でした。業務、戦略、オペレーション効率、それぞれの面から問題を分析し、改善策を導き出す。そこまでは、難しいことではありませんでした。

私が苦労したのは、自分が導き出した改善策を、異国でどのように実施するかでした。それには、私自身が忍耐強く、コミュニケーションをとることが何よりも必要でした。社員にはたくさん質問をしましたし、社員の意見を真剣に聞きました。私が意見を言うのではなく、人の話をひたすら傾聴しました。こうしたコミュニケーションを続けていくうちに、強固なチームが出来上がり、破綻しかかっていた銀行の再生への道が開けたのです。

キャリアのスタートは窓口係、生きた現場経験

佐藤:CEO自ら、窓口係など現場の方々にも話を聞きましたか。

ジョス:もちろんです。多くの窓口係の方々と意見交換をしました。現場の問題を把握するのと同時に、彼らと信頼関係を築きたかったのです。ところで私も最初は窓口係だったんですよ。だから彼らの気持ちはとてもよくわかるのです。

佐藤:現場の窓口係からCEOにまでのぼりつめたのですね。

ジョス:大学時代、インターンとして銀行の窓口で働いていました。以来、ずっと銀行でキャリアを積んできましたから、現場からマネジメントまで、何から何まで経験しました。やったことがない仕事はないくらいです。この経験がどれだけオーストラリアで役立ったかわかりません。

佐藤:現場の経験は、どこへ行っても役に立つということですね。オーストラリアは英語圏ですが、それでもアメリカ人のジョス教授にとっては、「異国」だったのですか。

ジョス:オーストラリア人は外国人に対して寛容で、アメリカ人に対してもとても好意的でした。しかも外国とはいえ、英語圏でしたから、言葉の問題はありませんでした。これがドイツや日本の銀行だったら、これほどうまく改革できなかったかもしれません。

日産のカルロス・ゴーンCEOは、私よりももっと苦労されたのではないかと思います。フランスと日本では、言葉も文化も違いますからね。カルロス・ゴーンCEOは、異文化を超えてリーダーシップをとり、結果を出している驚くべきリーダーだとあらためて思います。

※ジョス名誉教授の略歴は第1回「『トレンドは追わず』 スタンフォード教育改革の核心」をご参照ください。

※この連載をまとめた書籍「スタンフォードでいちばん人気の授業」(幻冬舎)が22日に発売予定です。

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