ミュージシャン・ローリーさん 辛抱強く、前向きな母
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はミュージシャンのローリーさんだ。
――子どもの頃から音楽好きだったそうですね。
「姉が2人いますが、僕が生まれる前に交通事故で当時4歳で亡くなった8つ上の兄がいました。兄のためにお経をあげる母の横で、僕はテレビから流れる『こんにちは赤ちゃん』を聞いて笑って育ったそうです」
「姉たちは音楽が好きで、子どもの頃、僕より6つ年下のいとこで歌手の槙原敬之と『ザ・ヤンチャーズ』を結成。ドラムと電子オルガン、ウクレレ、カスタネットで演奏していました。4人兄弟のようでした」
――お母さんはどんな人ですか。
「辛抱強く、前向きな女性。父は不在がちで母が家業の電気店を切り盛りしていました。僕は小学生の時いじめに遭っていました。自分が負けるまでじゃんけんをして、掃除当番とかばん持ちをさせられる。何かしくじるともう一度やりなおしという具合です。我慢できずに泣いて帰り、訴えたことがありました」
「母は『無駄なことは何もない、いじめてくれてありがとうと思いなさい』と言うんです。びっくりしました。でもある日、セミの抜け殻を発見して悟ったんです。つらいさなぎの時期があっても、いつか楽しく飛び立てる。奮い立ちました」
「ギターを覚えたのは中1の頃。祖父母の家でいとこに1週間教わったら何となく弾けるようになったんです。音楽は剣より強し。思いを表現できるようになり、自分が変わりました。バンドを始めると母は衣装を作るといって応援。81歳で亡くなるまで、コンサートに来てくれました」
――お父さんはいかがでしたか。
「父は家業を継がせるつもりで、僕は高校卒業後に一緒に電気店で働き始めました。でもバンドに99.9%の力を注ぐから毎日怒られました。55歳の父が心筋梗塞で倒れ入退院を繰り返す生活になると、さすがに考え直しました。最後にアルバムを1枚作って雑誌に送ったところ、グランプリに選ばれ音楽事務所からスカウト。反対を押し切り家を出てバイトをしてお金をため、デビューしました。テレビに映る僕の姿を見た近所の人から『息子見たでー』と言われ、うれしくなったみたい。1年後、高槻市の凱旋コンサートに来てくれました」
「父が65歳で亡くなった時、僕は音楽アルバムを作っていた。3日続けて夢に父が出てきて、3日目に父が亡くなったと聞き、父の教えを思いだしました。『エアコンやクーラーを取り付ける時は、お客さんが思う以上に、丁寧に仕上げるんだ』。まじめに仕事に打ち込んだ父らしい、働くことへのプライドを表現した教えです。ジンときました。父を思いながらレコーディングを済ませ、自分なりに答えを見つけた気がしました」
[日本経済新聞夕刊2017年5月30日付]
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