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私の履歴書復刻版

楽しみはボート応援と寄席 土光氏の東京高工時代 第4代経団連会長 土光敏夫(11)

2017/6/19

 清貧ぶりと無私の姿勢で「メザシの土光さん」と慕われ、1980年代の行政改革の先頭に立った土光敏夫氏(どこう・としお、1896-1988)の「私の履歴書復刻版」。東京高工時代の思い出が続きます。勉学のかたわら楽しんだのは、ボートの応援と寄席と立ち食いのすし……大正時代の青春です。

■蔵前時代(下)――ボート応援に血燃やす 寄席と立ち食いすしも楽しみ

 私の東京高等工業時代は、ただひたすら読書と実験に明け暮れた思い出ばかりだが、青春に娯楽はつきものである。

 この時代の、私のささやかな娯楽は、ボートの応援と寄席通いであった。

 “蔵前”は、先述の通り、下町のまっただ中にあったから、運動場は手狭で、たいして運動部らしい運動部はなかった。テニスと弓とボートぐらいであった。なかでも、ボートは実に盛んで、毎年春に、8学科を赤、白、青の3部に分けて大会を開いた。

 私は、学業とアルバイトに追われるという日々で、ボート部には属さなかった代わり、応援団長として先頭に立った。レースは、向島の堤の下、1000メートルを競う。桜の下、声をはり上げて、土手の上を走り回ったものである。

 私と同期の、元東大学長、茅誠司君は、電気科で学科が違ったが、ボート部の選手だった。彼のいうには、「学内にある学生集会所の屋根裏に練習用のバック台があり、昼休みごとに、100本練習させられた。講義の休みの日は、艇庫からボートを出して尾久あたりまで漕ぎ上る。6人の固定席。はじめのうちは、しりを痛め血を出したこともあった。夏、冬の休みは寺に合宿した。乱暴なことに、合宿中は決してふろに入れてくれない。ふろに入れば、翌日に疲れが出るという理由であった」そうで、ともかく猛訓練だったらしい。

 ボート応援のあとは、桜見物をしながら、桜もちを食べるのが、なんとも愉快であった。

 寄席は、人形町末広。土曜になると、友人の小倉義彦とよく出かけた。彼は、隣の播州出身で、下宿をともにした間柄でもある。その寄席の帰りに、立ち食いのすし屋へよった。

 私は、岡山県育ちで、新鮮な魚介類はよく口にしている方だが、この江戸前のすしもうまかった。寄席と立ち食いすしと――それが私の青春時代の大きな楽しみであった。

 すしといえば、岡山には、“祭りずし”という郷土の名物がある。一種のちらしずしで、瀬戸内でとれたママカリをはじめ、山海の珍味が山盛りになっている。ママカリというのは、イワシの一種と思うが、これをさかなにすると、隣家からご飯を借りて来なければならなくなるほどうまいというので、この名がつけられた。

 この“祭りずし”を母がよくつくった。後年、東京へ移り住んでも、ときどき岡山からわざわざ、米やタネをとり寄せて作ってくれた。そのうまいこと。“祭りずし”は私の好物の一つである。

 さて、大正9年(1920年)3月、東京高工を卒業し、いよいよ就職である。大正9年は、第一次大戦の好況の反動を受けた大不況期にあり、失業者が続出していた時である。しかし、専門技術を持つ蔵前出は引く手あまた、いわゆる“売り手市場”であった。

 だが、生長の私は、次々に同級生の落ち着き先を見送ったのち、最後に選択したわけである。そのころになると、三菱、三井などの大企業は、とっくに同級生たちの手中に落ち、ふとみると、東京石川島造船所が残っていた。石川島造船所の初任給は45円。当時の待遇としては低い方であった。

 このころ、学生たちの間で人気のあったのは、三菱と満鉄。特に満鉄は、月給200円という高給であった。

 しかし私は、技術屋としていかしてくれるならえり好みはしないつもりでいた。

 東京高工から石川島へ入社したのは、小倉、堀田、松村君ら4人であった。規友の小倉義彦は、はじめはその上の研究科(修業年限2年)へ進むつもりだったらしいが、卒業前に父君がなくなったために、急遽就職組に変えた。しかしそのころ妹が病気になり、その看病をしているうち、大企業の入社試験を受ける機会を逸してしまったからだという。

 全くの偶然で選んだ石川島造船所ではあったが、実は、たいへんつながりのある糸が底にあった。私が技師の道へ進んだのは、常次郎伯父の影響があったことは前に書いたが、その常次郎の業績の一つである京都市蹴上にあるインクラインと石川島とがつながっていたからである。インクラインは、明治23年(1890年)、わが国初の水力発電所の施設の一部として建設され、その発電所にわが国初の大型ペルトン水車2台を石川島が納入していたのであった。むろん、このようなことも毛頭、知るところではなかった。

 この連載は、昭和57年(1982年)1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および「私の履歴書 経済人 第20巻」(日本経済新聞出版社)の「土光敏夫」の章を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2012年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

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