疎外された子供たち ヘインズとズビャギンツェフ
カンヌ国際映画祭リポート2017(3)
『エデンより彼方に』『キャロル』で知られる米国のトッド・ヘインズ監督が、子供たちのファンタジーを撮った。18日のコンペで上映された『ワンダーストラック』。マーティン・スコセッシ監督『ヒューゴの不思議な発明』の原作者ブライアン・セルズニックの同名小説の映画化だ。脚本もセルズニックが書いた。
2つの物語が交互に語られていく。一つは1977年、ミネソタに住む少年ベンの物語。もう一つは1927年、ニュージャージーに住む少女ローズの物語。共通しているのは2人とも耳が聞こえないということだ。
ベンは生まれたときから父を知らない。図書館で働きながら女手一つで育ててくれた母は最近亡くなった。母が残したアメリカ自然史博物館の本に父の手がかりとなる書き込みを見つけたベンは、独りニューヨークを目指す。
両親が離婚したローズは無声映画のスター女優にあこがれている。無理解な父の家を飛び出して、女優が出演するニューヨークの劇場へ向かう。実は女優はローズの母親なのだが、せっかく訪ねてきた娘に冷たい。
原作でも2つの物語は交互に語られる。生まれたときから耳が聞こえないローズの物語は絵だけで描かれ、事故で聴力を失うベンの物語は文章でつづられる。映画もこれを踏襲し、ローズの物語は音楽だけでセリフがないサイレント映画のような仕立てになっている。2つの物語は終盤になってニューヨークの博物館で初めて交錯する……。
『エデンより彼方に』『キャロル』で1950年代の米国を描いたヘインズは、今回も20年代と70年代のニューヨークを見事に描き分ける。「恐慌前の楽観的だった20年代と不況にあえいでいた70年代。対照的な世界を描きたかった」。パレ・デ・フェスティバルの屋上のテラスで会ったヘインズはそう語った。
ヘインズはこれまでも社会から疎外されていく人々を描いてきた。『エデンより彼方に』では人種差別による疎外、『キャロル』では同性愛者への偏見による疎外。子供たちが主人公の「ワンダーストラック」も疎外感を描くという点は変わらない。耳が聞こえず、家族を失い、安らげる場所がない。「2人の子供は言語、社会、家族という3つの世界から疎外されている」とヘインズは説明する。
聴覚障害者として言語の世界から疎外された少年と少女が「ヘレン・ケラーのように外の世界を発見していく」という物語だ。「子供には様々な可能性がある。新しい世界に開かれている」とヘインズ。それが終幕の希望につながっている。
離婚する父母を冷徹に描く『ラブレス』
疎外された子供たちが旅することで希望にたどり着くヘインズ作品と対照的だったのが、同じ日にコンペで上映されたロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督『ラブレス』。こちらは離婚する両親に注目し、それぞれの振る舞いを徹底的にリアルに描くことで、残された子供の疎外感を浮き彫りにする。
無機質なコンクリートの学校。下校時間になって子供たちがぞろぞろと出てくる。少年の1人が校門を出て、水辺の木立を抜けて孤独に歩いていくのを、カメラは追う。
少年の住むアパートでは母と父が激しく口論している。2人はアパートを売り払い、それぞれに新しい生活を始めようとしている。父親の若いガールフレンドはすでに妊娠している。母親は金持ちの男とつきあっていて、再婚するつもりだ。両親のとげとげしい会話を聞きながら、ドアの後ろで泣いている少年に2人はまったく気づかない。
『父帰る』『裁かれるは善人のみ』のズビャギンツェフの描写は冷徹でドライだ。余計な説明や情緒を省き、身ぶりと事物だけで語っていく。
父親と女は韓国製の車でスーパーに買い物に行き、帰ってきた小さな家で激しく抱き合う。母親と男はムードある音楽をかけ、テーブルの下で脚を絡め、豪華なベッドでむさぼり合う。
少年が行方不明となり、父母は動揺する。しかし日々の暮らしは続いていく。父には新しい子が生まれる。母はランニングマシンで汗を流す。少年の写真が載った尋ね人のポスターが古びていく……。恐ろしい映画だ。
とことん身勝手な母親のリアリティー
メキシコのミシェル・フランコ監督『アブリルの娘』にもちょっと想像できないような身勝手な母親がでてくる。ある視点部門で20日に上映された。
17歳で妊娠しているヴァレリアは、姉と2人で海辺の町に暮らしている。ヴァレリアは妊娠の事実を、別居している母親アブリルに隠していたが、いよいよ出産が近づき、姉が母親に連絡してしまう。久しぶりに家に戻った美しい母親に、ヴァレリアは「来て欲しいと思わなかった」とあっさり言う。ヴァレリアは恐れていた……。
予感はあたる。赤ん坊が生まれて、アブリルはヴァレリアの恋人マテオと一緒に子供服を買いに行き、そのままマテオと寝てしまう。さらにメキシコ市の自宅に赤ん坊を連れて行き、マテオも呼び寄せる。マテオにバイクを買ってやり、娘たちが住む海辺の家を無断で売り払おうとする。ヴァレリアは娘を取り返すべく、猛然と巻き返しに出る……。
『父の秘密』『ある終焉』で崩壊した家族を寓話的、かつリアルに描いてきたフランコだが、それをさらに突き詰めたような話だ。とことん身勝手なアブリルの行動は、文章にすると現実離れしていて、ほとんど狂気のようにも思える。しかしスクリーンに映ったアブリルを見ていると、本当にこういう人がいそうな気がしてくる。
人間の欲望や感情がむき出しの形で描かれている。どの人物もほとんど迷いなく行動する。そこにも現代人の疎外感が浮かび上がる。人間が動物化するとはこういうことかもしれない。
ホフマンとトランティニャンの存在感
家族を巡る作品は多い。コンペでは21日に上映された米国のノア・バームバック監督『マイヤーウィッツ家の物語』、22日に上映されたオーストリアのミヒャエル・ハネケ監督『ハッピーエンド』もそうだった。
『マイヤーウィッツ家の物語』はニューヨークを舞台に年老いた彫刻家の父とその息子や娘、孫たちとの愛憎をユーモラスに温かく描く。『ハッピーエンド』はヨーロッパの現代ブルジョワ家庭のスケッチ。明るい海辺の光景の中にハネケ流の毒を潜ませ、スマートホンの画面を持ち込むなど今風の傾きもある。
前者は79歳のダスティン・ホフマン、後者は86歳のジャン=ルイ・トランティニャンという名優が、おじいさん役としてドラマの重心になっている。そのいぶし銀の存在感だけでも見る価値がある。
(編集委員 古賀重樹)
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