フライングはスターターの責任 選手の心理読みドン!スタートのテクノロジー(6)北岡哲子 日本文理大学特任教授

日経テクノロジーOnline

PIXTA
PIXTA

今回の連載の取材で一番の大きな驚きは、1964年の東京五輪で出発合図の補助役員を務めた野崎忠信・明星大元教授に、「不正スタート(フライングやスタート前に動くなど違反の総称)はスターターの責任」と聞いたことだ。それまで筆者は、100%競技者の責任だと考えていた。そこでスターターの何が競技者のスタートに影響を与えるのか、そのプロセスを最後にまとめる。

英語は日本語より間隔短く

 以前は、笛がスターターの必需品だった。スタートさせる用意ができたら、まず笛を吹く。フィニッシュ地点にいる決勝審判員主任は、この笛を聞いたら、音色の違う笛で合図を返す。

 スターターはそれを確認してから、おもむろに台に上がり、「位置について」と発声し、その約20秒後に「用意」と言う。その後、1.8~2秒で「ドン」と撃つ。

 ところが今は、「ドン」のタイミングが1.4~1.5秒と早まる傾向にある。なぜか。それは、合図が英語になったからだ。「On your marks, Set(オン・ユア・マークス、セット)」の「セット」が、1音節の促音であり、早く言えてしまうからだ。

 「セート」と長音にして延ばせば日本語の「用意」と言葉の長さが同じになってタイミングが合うが、日本でも現在、日本陸上競技連盟主催の競技会は英語なので、タイミングが早くなりがちだ。もっとも通常の国内大会では、日本語の「用意」で構わないというルールもある。

 不正スタートをさせないスターティング技術は、実践によってスターターの身につくものだ。具体的にはスタート地点の競技者の状態を見て、「位置について」を大きな声で言う。その間ずっと競技者を見て、どういう声で「用意」と言ったら良いスタートにつながるかを研究しているそうだ。

「用意」は声を抑えてゆっくり

 例えば、「用意」を必要以上に大きな声で言ってしまうと、競技者は早く飛び出しがちになる。焦ってスタートを切ると、不正スタートにつながったり、記録が出なかったりするケースが多くなる。これは経験が浅い、若いスターターが陥りやすい。競技者は腰をきちんと止めないで、まだ体勢が整わないうちに飛び出してしまうからだそうだ。

 「用意」は声を抑えてゆっくり引っ張ると、競技者が腰を押さえて止まりやすくなる。とにかく選手が落ち着いてスタートできる状態を作るのが、ベテランスターターだ。

 競技においては、予選・準決勝・決勝と同じ人がピストルを撃つことが多いので、ベテランの競技者はスターターの撃ち方の癖が分かってきて、うまく合わせられるようになる。一方、スターターの方もベテランだと、競技者を安心させてスタートさせる技術が身についている。スターターと競技者の信頼関係ができると、良いスタートを切れ、それが良い記録につながる。

 競技者が良い成績を残すには、競技者個人の努力だけではなく、それを支える技術と人、全ての力が高いところでかみ合うことが重要なのだ。

次のページ
ベルリン五輪から樫の苗木